久し振りに呼び出しを受けては本家に戻っていた。家を随分と出ていたものだから少し懐かしく思う。
人里から少し離れた屋敷――それなりの財力を保持した家柄だということは建物を見れば一目瞭然だろう。
重々しい雰囲気を纏う門前がを迎える。門を抜けると執事やメイドが一同に並んで彼女を出迎えた。


「お帰りなさいませ、様」

と、老いた執事が言う。暫らく見ない間に随分と老け込んだものだ。さぞ現当主に手を焼いているのだろう。
彼女が家を出る前はまだもう少し若さを感じた。白髪だってこんなにも多くは無かった筈。しわくちゃの笑顔。

「・・・ただいま。爺や」

それを見てふと懐かしい情景が脳裏を掠める。振り払う様にそう口にした。爺やは幼い頃からの馴染みだ。
この家で一番近い場所に居た。一般とは少し違う家庭事情にあったの思春期は荒れた時期もある。
たくさん我儘も言ったし、何度も八つ当たりだってした。それでも爺やはいつも温かくを迎えてくれた。

「御主人様が夕食は供に・・・と」

コートを引き取った爺やがそっと耳打ちする。さっそく呼び出しが掛かるのか、と内心げんなりとしてしまう。
だがそれをわざわざ表面上に出すことはせず「分かった」と、短く答える。余計な発言はしないに限るのだ。
家の者全てがの言動に注目している。下手な発言は自分の立場を危ぶむだけであるのは百も承知。

――だから余計な事は口にしないに限る。


(・・・まったく、嫌な家庭だよほんと)

小さく息吐く

おちおちと帰省の疲れを癒すことも出来やしない。今回、呼び戻されたことはにとって休暇ではない。
むしろ接待という仕事が課せられただけに過ぎない。有給とは言え休み返上で仕事とは我ながらよくやる。
ふと視線を上げると3つの影がある。まさか此処まで出向くとは思わなかった。胸に手を当て軽く会釈する。
「姉さん」と、中心に居た少年が呟く声が聞こえたがはそれに応えることはしなかった。否、出来ない。



「うーん・・・どうしたものかな」

と、能天気さが目立つ声調に暢気なものだと突っ込みを貰いそうだが、別に暢気に構えているつもりはない。
言葉にした通りどうしたものか、とは思う。だがどうにも出来ないのが現状だ。背中から落ちると流石に拙い。

せめて背中の強打だけは避けようと身体を反転させる。そこで初めて地上の様子を視認することが出来た。
森、広場、城に・・・遊園地?とか屋敷とか色々と見える。中でも今自分が距離を縮めているのは時計塔だ。
コンクリート造りの建物に叩き付けられるとなると流石にタダでは済まない。とは言え、現状どうしようもない。


(現実逃避しちゃ拙いよなぁ・・・)

既に 現実逃避

どうして現状に至ったのか考えて見るがよく思い出せない。久し振りに本家に戻ったところまでは覚えてる。
夕食まで時間があるから邸内を見て回っていて、その時にずっと近付くことが無かった部屋を訪れたんだ。
たしか、先代当主の息子の部屋・・・つまり兄である人の部屋。それで、その後どうしたかよく思い出せない。

案外覚えているものだ――なんて暢気に構えている暇は無かった。地面はもう既に目前にまで迫っている。
というか、あとちょっと本当にこんにちはしそうだ。いやいやちょっと待ってよ、本当にこれどうしたものだろう。
焦るの視界に映ったのは不機嫌そうな顔をして現れた藍色の髪の男性。しかも着地予定の地点に。


「ちょ、きみ・・・よけてっ!」

「あ、やっぱり避けちゃ駄目だ!」と、不意に反応に困る声が頭上から降って来る。ユリウスは顔を上げた。
そして驚愕に目を剥く。女が降って来た。大事なことなのでもう一度言っておこう。女が頭上から落ちてきた。
頭では避けるべきだと思ったが悲しきかな身体が反応したのは落ちてきた人物の後の言動の方であった。

突然現れたその男性と接触する瞬間、気の所為なのだろうけど、心無し衝撃が緩和されたような気がした。
とは言え、を支える程に衝撃は殺せなかったようだ。尻もち付いて転んだ男性を押し倒してしまった。
それぞれぶつけた箇所を擦りながら顔を上げて一瞬静止する。予想以上の至近距離に相手の顔があった。
ユリウスの藍色の瞳との赤い瞳が一瞬重なる。だが、突き飛ばす様に距離を置いたのはユリウスだ。


「っ・・・何なんだお前は!」

明らかに女性慣れしていない。先程の距離に動揺しているのか頬を赤くして怒鳴る様に男性がそう言った。
怒鳴らなくても良いのに、と、は思ったが流石に真上に落下して押し倒してしまった手前、言えない。

「ごめんごめん。悪かったよ・・・でも、感謝してる」

とは言え、流石にあの時に彼が居なければタダでは済まなかっただろう。諸手を上げて感謝と謝罪を紡ぐ。
その口調の所為か、はたまた髪と瞳の色の所為だろうかユリウスの脳裏を薄らと己の部下の姿が掠めた。
が、それを瞬時に振り払って目の前の女に意識を向ける。よく見れば似てな・・・いや、少し、いや、似ている。

「礼なんていらん。さっさと出て行け」

そう思った瞬間、沸々と苛立ちが湧いたことをユリウスは決して否定しない。八つ当たりの様に吐き捨てた。
立ち上がって埃を払う女の姿は流石にエースとまではいかないが女にしては背が高い。そして髪と瞳の色。
その二つがやはり彼を連想させてならない。赤いコートなんて着せたら見間違いも起こり得るのではないか。

「ちょっと待ってよ!出ていくのは全然構わないんだけどね」

「帰り方が分からないんだ、ここ何処?」と、慌ててが弁解する。その言葉にユリウスは眉を顰めた。
他所の国の者が迷い込んでしまったのか。先日も余所者が迷い込んだばかりだというのにどうなっている。
「・・・ここはハートの国だ」「ハートの国?」。言いたい言葉を飲み込みそう告げると間抜けな返答が返った。

「おまえ・・・そんな事も知らずにやって来たのか」

呆れたようにユリウスがそう言うとは肩を竦めて「来たくて来たわけじゃないよ」と、苦笑を浮かべた。
だからこそ困っている。落下の危険を回避した今、戻る方法が分からず帰れないことが一番の問題だった。

「私は

「よろしく」と、手を差し出すとユリウスは一瞥するだけで応えてはくれない。どうやら嫌われてしまったようだ。
が、「ユリウス=モンレーだ」と、名乗った後に「よろしくする気は無い」と、答えた辺り悪い人では無いらしい。
やれやれと小さく息吐き、は差し出したままの手でユリウスの右手を掴んだ。「あ、おい!?」。驚愕。
「つれない事言わないでよ」と、その手を掴んだままはニッと笑った。なんて強引な奴なんだと思った。

「・・・お前は、帰り方を探しているんだろう」

そして、その強引さに負けてしまった。溜息混じりにそう呟いて「・・・私とよろしくしている場合か」と、続ける。
嘘か本当かさておき帰り方が分からないというのに随分と暢気なものだ。焦った様子がまるで見られない。

「ちょっとした気分転換だよ」

「焦ったところで道は拓けないし、道程を楽しむのも悪くないよ」と、まるで本当にエースと話している気分だ。
言動まで似ているとは。「それでさ、物は相談なんだけど」と、遠慮なく話を振るに嫌な予感を覚える。
「断る」「えぇー!?まだ何も言ってないじゃないか」。先手を打って拒否すれば案の定、不平の声が響いた。

「言おうとしているなら同じだろうが!これ以上の厄介事なんて絶対に御免だからな」

「さっさと行ってしまえ」と言わんばかりに手を払うユリウスの仕種には何て冷たい男だと内心思った。
「酷いよユリウス!」と、今度こそ恨みがましい声が出ても無理無い。宛てもないのにどうしろと言うのだろう。

「いずれ帰るにせよ時間は掛かるし、その間の住まいが必要なんだ」

「頼むよ」と食い下がる。初対面の相手に無理強いなんて申し訳ないとは思う。が、あっさり引き下がれない。
「ねえってば」と引き下がるわけでなく絡んでくるにうんざりしたのかユリウスは「煩い!」と、怒鳴った。
最初は帰り方が分からないなんて馬鹿だと思うと同時にほんの少しくらいは同情したが調子に乗り過ぎだ。

「だったら他を当たれ。宿でも野宿でも方法はいくらでもあるだろう」

少し前にアリス=リデルという余所者がこの国を訪れた。そしてアリスはどういうわけか今もこの国に居た。
帰れと言っても、目の前の女と同様に「いずれ帰るわよ」と言って聞かない。何れでなく今、帰るべきなのに。
長く留まれば碌な事にならない。だからこそユリウスは忠告するが誰もかれもその忠告を聞こうとはしない。

「の、野宿!?君、女の子に野宿なんてさせる気なのか!!?」

とんでもないユリウスの返しには目を丸くする。仮に野宿生活を強いられてもやっていける力はある。
それにしても、だ。常識的に考えて女を相手に野宿しろなんて提案を普通は出来ない。とんでもないと思う。
が反論したのは謂わば保身というより女という生き物を理解していないユリウスの無神経に対してだ。

女性とは尊ぶべきものである、と、学生時代から叩きこまれたにとってユリウスの発言は論外である。
別に女扱いしろと言いたいわけではなくその言動が如何なものと思った。だからついムキになってしまった。
仮にユリウスがを女扱いする様なことがあれば違和感は勿論のこと気持ち悪くて仕方が無いと思う。
とは言え、この発言がゴリ押しになってしまったのは確かでユリウスが黙るものだから妙な沈黙が流れた。


「・・・・・」

確かに言い過ぎたとユリウスも言ってから少し後悔した。決してこの国は安全とは言い難い治安をしている。
目の前の女がいくらエースに似ているとはいえ、所詮は女。放り出して野宿なんてさせられるわけ無かった。
ちらりと視線を向けるとも微妙な面持ちで黙り込んでいる。何とも嫌な間だ、とユリウスは内心思った。

「・・・ごめん、ちょっと図々し過ぎたね」

と、不意にが口を開いたと思いきや苦笑し彼女はそう言った。「宿でも探すよ」と、さらに言葉を繋ぐ。
諦めたかと安堵した瞬間、「・・・でもユリウス。君、少しは女の子扱いを覚えた方が良いよ」と、奴は続けた。
「そんなんじゃ彼女も出来ない」と、余計な御世話だ!の一言に尽きる発言を投下し踵を返し階段に向かう。

別に皮肉りたかったわけじゃない。床に叩きつけられそうになった自分を救ってくれた恩人に感謝している。
だからこそその恩人が周囲から高い評価を得られるアドバイスをしただけに過ぎない。余計なお世話だが。


「おい・・・ちょっと待て」

そのまま背中を見送るかと思いきや不意にユリウスがを呼び止めた。は足を止めて振り返る。
そこには最初に見かけた時の様に不機嫌そうな顔をしたユリウスの姿。「なに?」と、は首を傾げた。
ユリウスは深々と溜息を漏らした。どうかしている。どうして引き留めてしまったのか。正気の沙汰ではない。


ここに、居てもいい
(無愛想な滞在許可)


「・・・・ねえユリウス。君、ちゃんとした生活送れているの?」

話が纏まって時計塔を簡単に案内して貰う事になった。そして目の当たりにしたのはユリウスの仕事部屋。
散乱した書物、時計の入った箱がそこら中に転がっている。足場が無いわけではない。無いわけではない。
だけど生活スペースがどこにも見受けられない。この光景から察するに彼は馬鹿みたいに仕事熱心だろう。
それこそ自分に関して蔑ろにしてしまう程に、だ。呆れた風にそう言うとばつの悪そうな顔をして目を逸らす。


(・・・やっぱりね)

苦笑

そんなことだろうと思った。ユリウス曰く「食事はちゃんと摂っている」らしいがそれも最低限ってところだろう。
これから帰れるまでの間、生活を共有するわけだから食生活の管理は念入りにしようとは決意する。
仕事一辺倒な人に限って自分を省みないもの。流石に恩人が過労でぶっ倒れるだなんて真っ平ごめんだ。


「言っておくがここは他に部屋なんてないからな」

「寝るときはそこを使え」と、ユリウスが指したのはロフト式ベッドだ。それもユリウスの作業部屋の中にある。
本当に部屋が無いんだな、と思った。「ああ、ありがとう」と、答えてユリウスが淹れてくれた珈琲を口にする。

「・・・意外だな」

思わずぽつりと呟く。自分でも眠気覚ましによく珈琲を淹れるらしく普通に美味しかった。何だか意外だった。
そういえば誰かの淹れた珈琲を飲むなんて久し振りかも知れない。一人暮らしが長く自分で淹れてたから。
しかも自分で淹れるよりもずっと美味しい。何だか少しだけ癪な気もするが別に美味しい珈琲に罪は無い。

「別に無理に飲まなくていい」

吐き捨てるようにユリウスがそう言うと「無理なんてしてないさ、凄く美味しいよ」と、は笑って言った。
「誰かの淹れる珈琲なんて久し振りなんだ」と続ける。店で飲むことはあったがそれはあくまで市販の味だ。
こうして誰かが淹れるのとは全然違う。「一人暮らしでもしていたのか?」と、興味本位でユリウスは尋ねた。

「働きはじめて家を出てからは一人暮らしだよ」

「実家に居るより気楽なんだ」と、珈琲の味を堪能しながらがさらっと言った。何ともないような物言い。
ほんの一瞬、空気が変わった。が、それ以上、踏み込むことはせずユリウスはただ「・・・そうか」と、返した。
招き入れてしまえばも部屋の一部になる。ユリウスは黙々と作業に集中してはそれを眺めた。

時計を分解してまた組み立てる。言ってみれば単純作業なのだがその工程はとんでもないくらいに細かい。
目が疲れそうだ、とは思った。同時に自分は絶対に無理だろうな、とも思う。不意に足音が聞こえた。
足音から察するに男ではない。軽い。段々と近付いて来るその音が不意に部屋の前で止まった。ノック音。
それに短く無愛想に応答するユリウス。本当に愛想が無い。呆れつつも興味本位で扉を開けることにした。



「クッキーを作ってみたのよかったら・・・・え?」


全て言い切ることなく、少女の言葉は途切れた。

旅は楽しむものだろう?

2013年11月29日 脱稿