川を流れていく灯篭を見送りながら飴色時の空を仰ぎ見た。吐息が零れ、薄い唇がその名が刻まれる。
されど、あの日、優しく肩を抱き寄せてくれた貴方はもう居ない。失われた刻は戻らない。焼け爛れていく。


「・・・ 、  ・・・」

意図も無くその唇がぼんやりと何かを呟く。だが、それは空気を振動させるだけで音になる事は無かった。
隣を歩く見知らぬ小さな白髪の少女がそっとの服裾を掴んで覗き込むように見上げて来た。蘇芳の瞳。


懐かしい面影と重なる。

あの人の隣を歩けるだけで幸せだと思えた、愛しい日々の残像が過った。モザイクだらけではっきりしない。
カタカタと動き始めたのは古びた記憶の映写機。ねえ残像よ教えて。私が心から愛したのは誰だったのか。





陽が沈む中、トンボが水平線に並んで飛んでいる。薄暗くなっていく空を見送った。水の音が鼓膜に届いた。
雲行きが怪しい。されどただ独り、水の流れを見つめ待ち続けた。愛しい貴方、いつ、帰って来るのかしら。
霧雨が辺りを包む。待てども待てども、貴方は帰って来ない。どうしてかしら、帰る場所は此処の筈なのに。

「・・・・・・」

は膝を抱えたまま水辺を見つめる。笑い方すらも忘れしまった気がする。自分は、何を愛したのだろう。
何を待ち続けて、何に焦がれ、何を哀しんでいるのか。何故、こんな場所で一人待ち続けているのだろうか。


いつ死ぬとも知れない生き方だと知っていた。それが、彼の望んだ生き方なのだと理解していたつもりだ。
だから、止める事が出来なかった。貴方が死んだのだと、ただ、理解したくなかっただけなのかも知れない。
神楽や新八、桂が幾度も迎えに来た。が、頑として首を縦には振らなかった。此処を動いてはいけないの。
だって、彼は迎えに来ると言ったもの。自分が此処を動けば、彼に見つけて貰えない。そんなの絶対に嫌。

――ねぇ銀時 貴方はこの約束を覚えている?



「・・・・・・産んでも、良いの?」

銀時が当たり前の様に言ってのけた言葉を信じるには、少々、生き過ぎてしまった。だって、信じられない。
もう一度確かめるように銀時を凝視して、震える声を抑えながら尋ねた。面倒事が嫌いな人だと思ってた。

「ンな事で嘘言ってどうすんだよ」

ぶっきら棒に吐き捨てられた言葉。その一言が一瞬で心に灯を点し、心を震わせた。一生の懸った問題だ。
なのに、簡単に「産めよ」と銀時は言った。込み上げて来た感情を抑える術なんて知らない。ただ、泣いた。
溢れて来た涙は止め処なく零れ落ちる。だって、信じられないよ。まだ夢の中に居る様な気がした。だって。

「っ・・・だって、・・・わた、し・・・っ・・・」

もう涙声で何を言っているのか分からない。泣きじゃくりながら言葉を紡ぐ。銀時の腕がとても温かく感じた。
子供を産んで、ましてや、育てるなんてこと出来ないのだと思っていた。もうずっと、そんな夢は諦めていた。


極当たり前の幸福でさえこの身体は許してくれないのだ。分かってた。私に子育てなんて無理だと知ってた。

病に気付いたのは15歳になった頃だった。少しずつではあるが、確実に、自分の記憶が流されているのだ。
流れ落ちていく記憶を留める術などある筈もなく、医者には匙を投げられた。日を重ねる毎に薄れ行く記憶。
日に日に掻き消されていく懐かしい記憶達。愛する人達と共に過ごした時間さえも花の如く散って逝くのだ。

私にとって時は永遠などでは無く、心を孤独に苛ませるだけの代物に過ぎなかった。消えていく幻の産物。
今は幸せであっても、いつかは消えてしまうのだと知っていた。なんて不毛な人生なのだろう。消えるだけ。
だから、それなら、いつか消えるだけなら、幸せなんて必要ないとずっと思っていた。心を傷付けるだけだ。

なのに、


『消えるってなら、また重ねりゃいいだろーが』

何度でも。

その時は一緒に居てやる、と、お前の記憶のバックアアップになってやる、と。貴方は臆す事無く言った。
殻に引き籠って、傷付く事を恐れていた私に手を差し伸べてくれた。その手を引っ張り上げてくれたんだ。
眩し過ぎるほどの光と、一歩を踏み出す勇気を与えてくれた。あの日から前を向いて歩けるようになった。


ちゃんは泣き虫ですねー。言っただろうが、おめーを独りにゃさせねぇよ」

泣きじゃくる私の頭をあやす様にぽんぽんと撫でて、銀時は小さく笑った。私ね、自分は幸せ者だと思う。
貴方に出会えて、貴方を好きになって良かった。貴方に愛してもらえる私で良かった。本気で思ったんだよ。
その慰めの言葉が、銀時なりの精一杯のプロポーズだと知ったのは、それから暫くしてからの事だった。



結婚してから、銀時は今まで以上に働いてくれる様になった。生まれて来る我が子に苦労はさせたくないと。
自らを「銀さんは勤労侍だかんな」と笑いながら称して。私はいつもその背中に手を振りながら見送るんだ。
幸せだった。いつ死んでも後悔しないと思えるほど、幸せだったんだ。永遠の時は存在するのだと知った。


ある日の夕刻、雨が降った。

検診の帰宅途中、銀時が傘を忘れた事を思い出して迎えに行った。案の定、雨宿りを余儀なくされたらしい。
居酒屋の屋根の下で雨宿りをしている銀時に呼びかけた。「悪ぃ」小さく礼を言うと銀時が傘を持ってくれた。
二人で入る傘は少し狭かったけれど、一人では無い事が実感出来て嬉しかった。今、私は一人ではない。

家に帰るまでの帰路を歩む中、他愛も無い話で盛り上がった。

生まれて来る子は女の子だろうか、それとも、男の子なのだろうか。どちらでも元気な子ならばそれで良い。
男の子ならば銀時に似ていれば良い、女の子ならば私に似ていれば良い。そんな事を互いに口にして笑う。
銀時の天然パーマは遺伝しないで欲しいだとか、私の病は遺伝しないで欲しい。そう言うと、軽く怒られた。

・・・だけど、本当に他愛も無い話だったんだ。


「ねえ銀時」

そう呼びかけると、気怠さそうな声で返事が返って来た。銀時らしい返事だと思う。思わず笑ってしまった。
軽く睨まれて笑いを堪えようとするが、どうにも難しい。誤魔化す様に傘の隙間から見える夜空を仰ぎ見た。

「・・・幸せなの・・・。私・・・今、とても幸せよ・・・」

普段なら決して口にしないだろう言葉。言い聞かせる様なその呟きを、銀時はただ黙って聞いていてくれた。
肩に手を回され抱き寄せられる。銀時の胸に顔を埋める。夜道だからか、随分と大胆な行動に出たものだ。
街灯が夜道を寄り添い歩く二人の影をそっと映し出す。2人ならば決して道は誤らないと信じていたのだ。


銀時。現金な女だと思われるかも知れないけど、貴方に出会った頃はこんな風になれると思ってなかった。
私の家が万事屋に依頼を入れ、銀時と新八、そして、神楽がやって来た。なんて変な連中だろうと思った。
本気でそう思ってた。まるで怖いものなんて存在しないような顔をして。ずっと、貴方たちの事を僻んでいた。

だって、貴方達の記憶は消えないでしょ?私は消えて欲しく無くとも消える。永遠に留め置く事が叶わない。
あの頃、家に引き籠ったままだったのは、全てをやっかんでしまうから。家族も、友人も、先生も、皆ずるい。
どうして私だけこんな目に合わないと駄目なの?どうして私の記憶だけが流されていってしまうの。どうして。

狙われていたことなんて興味無い。だって、いつ途絶えても後悔しない命だったんだ。護衛なんて要らない。
大切なのは生きる事などでは無く、これ以上、記憶を流して零してしまわぬ事。欠片を護る事が大事だった。
それを最初に話したのは新八で、神楽がずっと一緒に泣いてくれ、銀時が背中を押してくれた。嬉しかった。


『いつまでも続くといいな・・・・・・』

肌を重ね、銀時の腕に抱かれながら呟いた。その言葉に、銀時はいつも優しく笑って頭を撫でてくれるのだ。
そして、壊れ物を扱うかのような手付きで、優しく髪を梳く。私も小さく微笑んで、銀時の首に腕をまわした。

どんなに暗くても、銀時二人ならば大丈夫。一人では駄目でも、二人だから真っ直ぐ歩き続けていられる。
互いが互いを照らし続ける限り、ずっとずっと、真っ直ぐに歩いて行ける。その背中は決して曲がらない。
そう信じてた。だって、銀時は私にとっての光で、私を独りにはさせないと約束した唯一無二の光なのだ。



「わた、し・・・しあわせよ・・・ねぇ・・・   ・・・・・・」

頬を伝ったのは雫か、涙か。口元に浮かぶのは微笑か自嘲か。愛しいあの名を紡ぐ事はもう叶わない。
求める様には星が瞬く空に手を伸ばした。あの月明かりに手が届けばどれ程救われるのだろうか。

記憶は逆さに廻る。幸福だった時間(とき)を白黒にして、燃えた。爛れた記憶の中を舞うのは愛しい笑顔。
もう戻らないと知って尚、求めて止まぬ記憶の欠片。時間は止められずとも、必死にその穴を塞ごうとした。



その報せを聞いたのはあの子が生まれてまだ間もない頃でした。

今回の依頼は長くなると聞かされた時、不安な眼差しを銀時に向けた。いけないと分かっていても不安だ。
されど、彼は安心させるように笑い「すぐ戻るからよ」と頭を撫でてくれた。その一言で安心する事ができた。
単純かも知れないが私はその言葉を疑わなかったし、おそらく彼もそれが嘘になるとは思わなかった筈だ。

「・・・すまない」

申し訳なさそうに銀時を巻き込んだ桂が頭を下げる。だが、その言葉すら濁って聞こえ、はっきりとしない。
唯呆然と立ち竦み、物言わぬ銀時の姿を見つめる事しか出来なかったのです。世界が暗くなるようでした。


幸せになる為には、何が必要だろうか。

描いていた夢はあっさりと破り捨て去られ、ほんの些細な願いですら、嘲笑うように掻き消されていくのだ。
ゆらゆらと揺れて、舞い昇っていく紫煙はまるで、泡沫の出来事のように思う。あれは愛した人の煙なのか。
それさえも朧げで夢現の出来事の様だ。私が欲した幸福さえも叶わない。この世はなんと無常なのだろう。


眠るように瞳を閉ざしたままの幼い吾子の手を握った。すやすやと無防備な寝息が室内に響き渡るだけだ。
手を握り返してはくれませんか?――何も知らない顔で貴女はぐっすりと眠るから。涙が止まらなかった。

だから、

「・・・どう、し・・・て・・・」

紡ぐつもりの無かった言葉がぽろり零れ落ちた。どうしてこんな風になってしまったのか。私は願っただけ。
幸せになりたい、と、望んで当たり前の事を願っただけなのに。どうしていつも、幸福の終わりはこうなのか。
望まなければ失わない。なのに、どうして私はいつも、愚かな選択肢しか選べないのか。なぜ求めてしまう。


私の中でずっと灯され続けていた明かりが小さくなっていく気がした。私の願う幸せは何一つ続かないのか。
記憶の灯が妖しく揺れた、歪な光を作りあげながら。脳に薄い膜ができたように感じる。嗚呼また流される。

終わらない人生。されど、止まる事など許されない。踏み出す度に、貴方を思い出す度に心が軋んで悲鳴。
会いたい。抱きしめて、もうどこにも逃れられない様に閉じ込めてしまいたい。温もりが薄れていく事が怖い。
忘れてしまえばいっそラクなのかも知れない。だけど、貴方を忘れる事なんて考えられない。だけど苦しい。

貴方の居ない人生に意味なんて覚えられない。



愛しい日々は何れ埋められていく。銀時と出会い、子を成し、そして、銀時が泡沫に消えてしまったように。
止まらない時間は懐かしい過去を映し出しては永遠に葬り去っていく。止めてと願ってもそれは叶わない。

「い、や・・・っ・・・消えないでっ・・・!!」

信じられないほどの激痛が脳内を走り抜ける。それが合図だった。言い知れない恐怖が全身を包み込む。
記憶が流されるのだと気付いた時、涙が止まらなかった。自分の身体を掻き抱く。されど、流れは止まない。
やめて。止めて。懇願するように願う。だが、神様はいつだって無情だ。その願いを聞き入れてはくれない。

銀時が居た頃はこの記憶もまた塗り重ねられていくのだと信じて止まなかった。怖いけど恐れは無かった。
だけど、もう重ねてくれるあの人はいない。私が欲しかった温もりを与えてくれるあの人はどこにも居ない。


「この子は・・・っ!」  「何で・・・っ・・・なんで覚えてないアルか!?」

叩き付けるように、悲鳴のような声で新八と神楽が告げる。桂の腕の中には幼い白髪の赤子が眠っていた。
ただぼんやりと、桂の腕で眠るその赤子を見つめた。そんな事を言われても思い出せないのだ。仕方ない。



――幸せは長く続かない。


「あなた、は・・・?」

ジッとを見上げる銀髪の少女を見据えて呟いた。どこか懐旧的な思いを呼び起こすその幼い顔立ち。
知っているのだろうか。否、自分の知り合いに子供は居ない。何故なら今居る場所は滅多に人が来ない。

「私・・・、」

覚えていないの?と言いたげに少女は言葉を紡ぐ。凛とした鈴の様な声。困った様に微笑んで口を動かす。
背中までの柔らかい銀髪に、白を基調とした水色の波柄の入った着物。いつか見た懐かしき面影が重なる。

「・・・・・・だ、れ?」

怪訝な表情で小さく呟く。頭がちくちくと鈍い刺激を与える。脳裏で銀色の人影が優しく私に手を差し出した。
しかし、その人影を零音は知らない。男性の物だろうか、大きな掌。優しく微笑みかける人影に泣きたくなる。

どうして?

その人影を想った途端、心に温かな光が灯った気がした。柔らかい風が心の中を吹き抜ける。なぜだろう。
愛しく、恋しく、そして、嬉しくて。言葉にならない感情が溢れ出して止まない。思わず胸を押さえ少女を見た。


「 マ マ 」

少女はもう一度柔らかく微笑むと、その鈴のような声で告げた。まるで大切なものを見つけた様な優しい顔。
脳の中で何かがスパークする。びくりと小さく肩が揺れた。溢れだす様に映像が脳裏を駆け抜けていった。



幸せは長く続かない。
さりとて幸せの終わりに小さな花が咲くとするならば。


私にとって、それは―― こ の 子 で し た 。



(嗚呼、やっと取り戻せた)



IMAGE SONG ⇒ 幸せを謳う詩(by.あさき)

今思うと銀さんって一番死にそうにないイメージなのですが・・・
初っ端から死んでますね、銀さん好きの方すみません。
この話のテーマ(主にあさきさんの曲)は、『幸せの形』だと私的に解釈しています。
確かにハッピーエンドとは言えない。だけど不幸だとも思わない。

しあわせは続かない、されどもその終わりには花が咲く。
花が咲き続ける限りきっと生きていける。

2010年4月以前 脱稿