その子はその年の秋に生を受けた。知らせを受けたのは仕事を終え、子が生まれて暫く経った頃だった。
主には「何故傍に居てやらなかったのだ」と叱られたが、原因は紛れもなく仕事を与えた主にあるのだが。
とは言え、人情篤く性根の優しい主の事だ。完全にそこのところは失念したのだろう。思わず笑ってしまう。
元々病弱であった妻の隣で小さな寝息を立てるまだ小さな赤子。その身体は小さく、抱くのに勇気を要した。
抱き上げた身体は潰れるのではないかと思うほど軽かった。そして、その手を妻の頬に触れさせてみた。
身体も随分と弱り、その顔面は蒼い。だが、それでも赤子の温もりに頬を緩ませ弱々しく微笑んで見せた。
恐らく、今年の冬を越すのは無理だろうというのが医師の見立てだ。佐助自身も医術の心得程度は持つ。
が、やはり同様の読みで在った。それは否定出来ない近い未来の話なのだ。それがいつかは分からない。
忍びとして、自分の未来に幸があるとは思わなかった。それでも、妻を娶り、子を成しただけでも幸福だ。
――そう、自分は幸福なのだ。
「佐助」
後ろから呼びかけた己の主の声にゆっくりと顔を上げる。そこには物言いたげで困惑した幸村の姿がある。
優しい主の事だ、佐助の心情を察して気遣ってくれているのだろう。たかだか忍にそこまでする主も珍しい。
佐助は困った様に頬を掻いて、肩を竦めて笑って見せた。これが定めならば受け入れるほかに道は無い。
生まれたばかりの『』と名付けられた幼子の小さな手を取る。自分の手の半分にも満たない幼い手。
すやすやと寝息を立てる我が子の頬を撫でた。思わず頬が緩む。心がほんのりと温かい。愛しいと思った。
この子を護るために生きていく未来が在るのだと少しだけ思った。元々、妻も佐助も忍だ。闇を生きる住人。
いつかこの子も忍として主君を見つけ仕えるのだろう。そんな我が子の軌跡を見届ける事が出来たら良い。
それだけで十分なのだ。元より忍の生き方は人としての幸福とは程遠い。過ぎた願いはおこがましいだけ。
されど、心のどこかで幸福を求めるのは性だろうか。親子で生きていく幸せな未来を夢見た事は否めない。
忍と言えど少しくらい吾子と生きる明るい未来を夢見たって構わない筈だ。叶わぬ願いと知ってるのだから。
「・・・・・・」
小さく漏れた溜息は切なく、虚空に舞い上がる。あとどれ程、共に生きていけるのだろうか。あと、どれだけ。
今この瞬間を永遠にしたいと願う事は罪なのだろうか。それが罪ならば、人は皆一様に咎を背負いし者だ。
「手を・・・握り返してくれるの、」
ねえ見て。妻が不意に声をあげた。優しい声音。我が子を慈しむ母なる者のみが発せられる柔らかな声。
そちらに視線を向けると、の小さな手が妻の指先を握り締めていた。離すまいと言わんばかりに確りと。
自分の手を握り返す吾子を見て嬉しそうに微笑んだ。些細なことに一喜一憂する妻が時々霞んで見える。
元々顔立ちが整っており、忍び装束を常に纏っていたからか、色の白い妻だから。よりいっそう儚く映った。
病弱になった今は美しく、華奢。どこか儚げでいつか消え失せてしまいそうな気さえする。まるで灯のようだ。
「 !!」
不意に妻が強く咳き込んだ。思わず名を呼んで身体を支える。口元を押さえるのも束の間、赤い筋が伝う。
それでも、の握った手を放そうとはしない。顔色は真っ青なのに笑って見せようとする。背筋が凍った。
弱々しく顔を上げて、一度小さく微笑んで見せた。そして、の額に口付けを落とす。嗚呼、終焉なのだ。
そして――
夕暮れ時。
大方の仕事を片付け、主の部屋へ足を進めた。きっとあの主君の事だ。仕事を放って遊んでいる事だろう。
締まりの無い笑みを浮かべて、最愛の義娘の世話を焼いてる頃だろう。世話の前に仕事を片して貰いたい。
幸村の執務室の襖障子の前に佇む。襖を開け部屋に入りまず尋ねるべき事柄は一つだけ。溜息が漏れた。
「旦那。姫と遊ぶのは結構だけど、仕事終わったわけ?」
襖を開けると案の定。幸村の膝を占領して嬉しそうに笑う愛娘の姿が映った。無邪気な姿に苦笑が浮かぶ。
そんなを見て、本人は意識してないが幸村は情け無いほど頬を緩めている。溺愛も良いところだろう。
溜息交じりにそう言葉を紡ぐと、性格が似通っているのか、二人は同時に顔を上げてこちらに目を向けた。
「遅いではないか、佐助」
仕事という言葉には触れず、幸村が憮然と言い放った。誤魔化しに似た反応からして仕事は未だのようだ。
「いやいや」思わずそんな呟きが漏れたのは言うまでも無い。まず、仕事を与えたのは誰だと突っ込みたい。
「父上が参ったぞ」と、幸村がの背を押すと、溢れんばかりの笑みを浮かべてが駆け寄って来た。
嬉しそうに駆け寄る娘を見て、心底思った。やはりこの子は忍には向かない。落ち着きと言うものに欠ける。
7歳を迎えたは今年から忍の訓練を受ける事になっていたが、幸村の養女となる事でその道は潰えた。
よい意味で感受性豊かあるに忍は無理だと判断したのは2年前の事だ。忍の道はを潰してしまう。
人として感受性豊かなのは褒められる事。が、忍の子として生まれた以上、それは良かったとはされない。
だが、武田の忍軍の長、ひいては忍である自分の手元にある限り、に選べる道はひとつしか残らない。
親として願うのはやはり我が子には幸せであって欲しい。こんな修羅の道を歩む必要は無い。似合わない。
切なる願いだが、おそらくそれは、過ぎたる願いなのだろう。
だが、道が開けたのは親方様こと武田信玄が『を幸村の養女にする』という妙案が出された事からだ。
確かに武将の娘となればわざわざ忍の道を選ばせる必要性は無い。の純粋さを潰さなくて済むのだ。
それに、引き取る相手が誰とも知れぬ相手ならばいざ知らず、幸村が引き取るならば安心して任せられる。
「さすけっ!!」
そう言って腕の中に勢い良く飛び込んで来た零音。その小さな身体を抱き留めて挨拶がてらに頭を撫でる。
腕の中に視線を落とすと、まるで小猫のように嬉しそうに甘えて来るが広がった。やはり、心が温かい。
「ちょっとちょっと!お姫さまがそんな事したらだめでしょ」
そんな零音に頬が緩みそうになる。が、それも束の間。ハッとしてやんわりとその小さな身体を引き離した。
そして、困惑を押し殺す様に冗談めかした言葉を紡いだ。は我が子でありながら、今は主の娘なのだ。
手の届く直ぐ傍に在るが、あの頃のように気安く触れて良い存在ではない。それは佐助にとってのケジメだ。
自分の事を「とうさま」と呼ばせ無くなったのは2年前のあの日からだ。幸村の養女になる事が決まった時。
当たり前と言えば当たり前。はこれから上田城の主の娘となるのだ。忍風情を父と呼ぶのはおかしい。
最初は、否、今でもは名前を呼ぶ度に、一瞬哀しげな表情を浮かべる。それは親を求める吾子の眼だ。
だが、はとても聡明な子だ。
ちゃんと自分の立場と言うものを理解しているのだろう、決して駄々をこねたりはしない。
を養女として引き取る件に関して渋ったのは、意外にも幸村だった。渋った理由がよく分からなかった。
その誕生をまるで自分事のように喜び、我が子のようにを可愛がり慈しんだ幸村だ。何故、渋るのか。
反応の理由は、どこかで実の親子を引き離す事に抵抗感を覚えていたから。子は親に愛されて育つもの。
だからこそ、幸村は佐助とが親子で無くなる事を躊躇った。2人の間に自分が介入する事を嫌がった。
だが、それもの幸福を想うからこそ。別に、何とも思わなったわけではない。優先すべきは零音なのだ。
信玄の説得もあり、それからふた月ほどして幸村は渋々と了承した。どうなる事かと思ったが杞憂だった。
最初は渋っていたものの、やはり可愛いものは可愛い。いざ手元に置くと、尚更、愛情が強くなったらしい。
その溺愛ぶりは尋常では無かった。我が子のように幸村は零音を深く、そして、優しい愛情を注ぎ続けた。
「だってー!さすけがにあいにきてくださるのはひさしぶりなんだもん!!」
佐助のあしらう様な口振りには拗ねたように口を尖らせて言葉を紡ぐ。敬語とも言えないたどたどしさ。
幸村に引き取られてから、猪突猛進な部分が殊更強くなったような気がしないでもない。元気ならば幸いだ。
そんなを見て小さく笑った。
同時に、いつも思うのは「これが正しかったのだ」という言葉。の笑顔を見ていて良き判断だったと思う。
手元に置いて、似合いもしない血生臭い道生きるよりも、こうやして笑って生きる方がには似合うのだ。
が潰えずに済んだ。の笑顔と、主君の幸村を護るために奔走する自分の人生に自然と満足した。
笑って生きるこそが、そして、そんなを直ぐ傍で見護れることこそ、己の幸福だと信じて止まない。
だが、幸せな時間は続かない。
6年の歳月が過ぎ、間もなく13歳を迎えようとしていたが流行り病にかかった。酷い高熱に魘される。
嘗ては妻も命を落としたその流行り病の特効薬は未だに存在しない死の病。着々との身体を蝕んだ。
当然ながら、幸村も佐助も方々を駆け回り治療方法を探し続けた。が、すでに今現在の医術の限界だった。
ようやく武家の娘として、それなりの教養と気品を身に付けた美しい女子に成長したというのに。あんまりだ。
淡い想いを募らせる相手を見つけ、何れはその相手に嫁ぐだろう事は誰もが予想していた。それを喜んだ。
それこそ、父である佐助も、養父である幸村もそれを祝福していたのだ。幸村は大号泣していたようだけど。
親の手元を巣立ち、ようやく一人前の幸せを手に入れようとしていた。いずれは子を成し、全てはこれから。
なのに、幸せな時間は黒白に染まり消えていく。
何故いまなのか、なぜ、今、この子の命を奪う必要性があるのだろうか。全てはこれからだというのに何故。
この世に生を受け、一人前となり、ようやく人生で一番の幸せを手にしようとする今、この刹那に奪うのか。
その翼を手折る必要はあるのだろうか。どうして今、なのだ。今になって、なのだ。その言葉が止まらない。
「・・・・・・」
柱に凭れ掛り、庭先をぼんやりと眺めた。「・・・佐助」不意に気遣う様な幸村の声が届いた。雨が降っていた。
しかし、佐助は振り返らなかった。そして、言葉を返す事もしなかった。ただ、無言で灰色の空を見つめる。
「佐助」
もう一度強く幸村が呼びかける。その声にようやく佐助がゆっくりとした動作で振り返った。彼は笑っていた。
佐助のその顔を見た瞬間、幸村は危機感を覚えた。浮かべる表情はいつもと何ら大差ない。だが何か違う。
纏うその空気は元来、猿飛佐助が纏うそれとは明らかに異なった。異質と呼べる空気だ。危うささえ覚える。
が壊れた時、この優秀な己の忍さえも壊れてしまうのではないかと本気で思った。危機感を感じた。
――幸福が音をたてて壊れていく。
「とう・・・さ、ま・・・?」
「・・・佐助だよ、姫様。姫の父上は旦那だろ?」
の部屋を訪れると、高熱を出し魘されながらも弱々しく口を開いた。不安げな目が佐助を見遣る。安堵。
そして、父と呼ぼうとするのを宥めてその頭を撫でる。安心させるように浮かべた笑みにが眉を顰めた。
日に日に弱っていくを目の当たりにして思ったことは一つ。せめて、娘に人並の幸せを与えてやりたい。
想いを寄せた相手と結ばれる事が、父として自分がに与えられる唯一にして最期の賜物となるだろう。
できればもっと違った形でそれをあげたかった。だが、時間がそれすらも赦そうとはしない。もう時間が無い。
「・・・違う、よ。幸村様も御父上に変わりは無いけれど・・・・・・の、本当の父上は、・・・父さまなの・・・」
激痛が走ったのか、眉を顰めて前のめりに胸を押さえて蹲る。思わず息がつまり、言葉が出なかった。
のその言葉に佐助はまるで縫い付けられたように動けなくなった。何と強い眼差しで見つめてくるのか。
その真っ直ぐな双眸と強い光に喉が乾いた音を鳴らす。娘はいつからこんな眼をするようになったのだろう。
同時に強い感情が過った。それは燃え滾る炎の様、そうして、凍て付く冷たい氷の様な制御出来ないもの。
それはきっと、杞憂では無い。今までずっと、いつもどこかで燻り続けていたソレだ。脳裏で警鐘が鳴り響く。
「」
少し落ち着き言葉を発そうとした零音を遮ってその華奢な身体を抱きすくめた。病の責か以前よりも痩せた。
その身を抱きとめた事は幾度もある。が、されどこうやって抱きすくめたのはきっとあの日以来だろうと思う。
紡いだ名は妙に佐助の心を揺さぶる。どこにでもありそうな普通の名。それをこんなにも愛しく感じるとは。
虚空を舞うその小さな声は確かにの耳にも届いた。大切に紡がれた名に涙が溢れて止まらなかった。
溢れ出た雫を止める術などは知らない。そして、佐助もまたそれを拭おうとはしなかった。それは刹那。
だが気付いてしまった。なぜ今になって気付いてしまったのだろう。どうして今になり気付いてしまったのだ。
あの日、幸村が渋った理由に、が哀しげ表情を浮かべた意味に。どうせなら気付かないで居たかった。
――あと少し、もう少しだけで良いからこの子と居させてください。
外に出た時、一際強い風が吹き抜けた。ゆっくりと顔を上げるとそこにはぼんやり丸い朧月が浮かんだ。
黄色い月に掌を透かすように右手を翳した。伸ばせば届きそうなのになぜこうも空は遠いのか。届かない。
佐助の掌は決して小さくない。されど、その手ですら月は掴めない。否、この手は何を掴む事が出来たか。
この掌が掴めたのは幸福か否か。烏は孤独だった。だが、いつの間にか番の烏を見つけた。温かかった。
仲睦まじくも共に生きている間に子が生まれた。己の血を引く幼いひなどり。幸せを掴めたのだと思った。
だが、届かなかった。掴めなかった・掴み損ねた光は二つ。今もなお、遠く遠くへと遠退いていこうとする。
その煌めきの真の意味を知った時、ようやく、幸せがなんであるかの意味を悟った。それは―――・・・・。
幸村からの護衛を命じられた日からひと月が経過しようとしていた。最初は酷くぎこちない距離だった。
傍に在り続ける一日一日を噛みしめるように、そして、刻むように佐助とは寄り添う様に毎日を過ごす。
親子で過ごせるという些細な幸せを手にした時、それはすり抜ける砂のように手から零れ落ちてしまうのだ。
白いスーツと青褪めた零音の顔。病は勢いを失う事無く零音を蝕み続けた。長い方なのだと医師は言った。
じょじょに力を失っていくその身体を布団に横たえて、不意に口を開いた。嗚呼、口を開く事さえ億劫に思う。
「・・・とう、さん」
弱々しく伸ばされたその手を掴んだ。自分よりも大きな父の掌が包み込むその温もりに安堵の息が漏れた。
それは大好きな父の掌。は安堵した様に微笑んでゆるゆるとその瞼をおろしていく。終焉の時が来た。
閉ざされた瞳を見て佐助は無言のまま零音をただ見つめ続けた。言葉にならなかった。鈍い痛みが走った。
眠る様には息を引き取った。苦しむ事も無く、父である佐助に微笑みかけて永遠の眠りについたのだ。
佐助を襲ったのはいつかに感じた妻を看取った時と同じ喪失感。鈍い痛みは治まる事無く痛みは増すだけ。
眠るの前髪を掻き分けその額にそっと口付けた。妻ががかつてしたのと同じ。だが、もう笑わない。
果たして自分は良い父であったのだろうか。親子としてまともに過ぎたのはたった一ヶ月。されど、それでも。
お ま え は し あ わ せ で し た か ?
音にはならなかった。口の形だけで尋ねる。返答は無いと分かっていながらも問わずには居られなかった。
ありえない話だ。願望から見えた幻覚に過ぎないのだろう。だが、が微かに微笑んでいるように見えた。
「・・・・・・」
雨がシトシトと降る中、佐助はぼんやりと空を仰ぎ見た。雨雲が空を覆って晴れ間は見えない。雨は続く。
灰色の空は何も語らず、そして、佐助もまた何かを語ろうとはしなかった。その背はどこか儚げで頼りない。
吐き出す様にゆるりと漏れたのは深い吐息。空が曇っていて夜空に浮かぶ月が見えない。夜明けも未だ。
気付く事が遅すぎた故に見誤った幸福の形。幸福の形は常にひとつだと思っていた。だけどそれは違った。
の望んだ幸せは忍としてでなく普通に生きる事では無かった。確かにそれも幸福の形の一なのだろう。
だが、が望んだのはそれでなく、ただ傍に居るだけの幸せだったのだ。気付くのはいつも失くしてから。
「佐助・・・」
幸村が気遣い佐助を呼ぶ。ぴたりと足を止めて佐助は無言の儘佇んだ。今は言葉を交わす気になれない。
だが幸村は無理強いする事は無かった。猪突猛進な主にしては珍しい気遣いだと思ったが少し感謝できた。
――二人の男を雨が濡らす。
どちらも顔を見合わせることなく、幸村は佐助の背を見つめ佐助はただ虚空を眺めた。時間だけが流れる。
そこに言葉は存在せず、ただ、雨だけが強さを増す。身体を濡らす冷たい雨が何となく心地良く感じられた。
「そなた・・・「旦那。俺様さー・・・」」
激しさを増した雨粒のみが佐助を濡らしているわけではないと気付いた時、幸村は驚愕した風に小さく呟く。
しかし、それ以上の言葉を遮り佐助はゆっくりと口を開いた。浮かんでいたのは今にも消えそうな儚い笑み。
「・・・・・・そうか」
その言葉を聞いた時、不謹慎にも安堵した。初めて聞いた己の忍の本当の言葉。垣間見せた素顔だった。
どこか他者と一線引いた印象を受ける忍も人だった。妻を娶り子を成し、喪失に心塞ぎ悼む普通の人間だ。
激しく雨が降り注ぐ中で佐助が小さく口を動かした。それを聞き届けた幸村はフッと小さく笑って言葉を返す。
それにつられ佐助は晴れ間が見え始めた空を仰いでいつもの調子でに笑って見せた。雨は上がっていた。
太陽が姿を見せ、先ほどまでの雨を振り払う様に武田領全域を照らす。雨後に大きく鮮やかな虹が架かる。
確かに感じた絶望の中で見たのは光だった。
明るく輝く日輪のような、睦まじく二つ並んだ大きな光。
「こりゃまだ死ねないな・・・」
冗談めかした口調でぽつりと呟く。何を意図して言ったのか幸村はやはり常の如く読む事が出来なかった。
だが、様子を見る限りいつもの佐助と変わらない。闇から脱したのだろう。あの時感じた危機感はもう無い。
不意に思い出したように佐助が振り返り、「そういや旦那、仕事まだ残ってんじゃないの?」常の如く尋ねる。
その言葉に幸村はぎくりと肩を揺らし、ウっと言葉に詰まる。そして、視線を漂わせた。落雷カウントダウン。
心のわだかまりを無くして空を仰いだ時、人は知る。
幸せの在り方を――
(歩いて、追い掛けようと思う)