というわけで、今度はスキマスイッチ。
この曲は友人に庭球を薦められてそのノリで新庭球を見ていて浮かびました。
幸村は割と好きなキャラだったりします。
原作の登場回ではどうやら大変なことになっていたようですが、見た限り吹っ切れた様子。
私的に「君」とは「テニス」と「夢主」のどちらでも解釈できるのではないかと思います。
道は一つではない。だからこそ、好きなことを棄てないで欲しいと思います。
2010年4月以前 脱稿
「・・・君、中学生なの?」
その問いに幸村は柔和に微笑みこくりと頷いた。そんなに意外だったのか、かなり驚いた様な反応である。
「さんは?」と問い返せば、彼女は高校3年生である事を告げた。ある種の分岐点に彼女も立っている。
人生にはいつだって分岐点が存在する。進むべきか止めるべきか、それを選択するのは誰でも無い自身。
彼女は自分の道を自分で選択した。後悔はしないよと彼女は微笑んだ。元々、道など残されていないから。
ならば、今目の前にある可能性を掴み取るとは言った。結果云々ではなく、選ぶことが大切だから、と。
に初めて出会ったのは入院して間もない頃だ。心を落ち着かせる為に、屋上に訪れた時の事だった。
今まで当然のように傍にあったそれを奪われた事実は15歳の幸村にとって苦痛だった。羽根をもがれた鳥。
背中にあった翼はある日、抗えない運命によって奪われた。が、自由に飛べた頃の記憶は消えてくれない。
テニスの無い人生なんて幸村には考えられない。それは己にとっての空気であり、己自身でもあったのだ。
存在意義なんてものじゃない。あって当たり前で、無い人生なんてありえない。なのに、それは零れ落ちた。
簡単にこの掌から零れ落ちたのだ。あの日、突然自由が利かなくなった身体。気が付くと病室に寝ていた。
そして、この耳で聞いたのだ。
『テニスなんてもう無理だろう・・・・・・』
その言葉が如何に絶望的なものであったか、きっと医師には分からない。眠っていたと思ったが故の失言。
少しラクになった身体に反比例して心が壊れる程の衝撃を受けた。止め処ない喪失感に押し潰されかけた。
満天の星空が映る屋上で幸村は目を閉じた。瞼の裏に映るのはテニスコートに立つ自分、返球する瞬間。
ラケットを握らなくともその感覚は鮮明にイメージ出来る。もう何百何千と打ちこんで来たのだ、もう慣れた。
相手のボールを如何に対処するか、相手が強ければ強い程に興奮した。沸き上がる臨場感が好きだった。
あのスリルも、勝利を得た瞬間の充実感も、テニスが与える全てが幸村の心を揺さ振ると同時に満たした。
幼い頃から続けるテニスは最早幸村の一部分に他ならない。今更、テニスの無い人生なんて考えられない。
それなのにどうして神とやらは酷なのだろう。何故、今になって己からテニスを奪おうとするのか。酷過ぎる。
「・・・・・・」
幸村はまだ僅かに痺れの残る己の掌を握り締めた。この身体はポンコツだ。ラケットすらまともに握れない。
まだ衝撃が残っているのか己の足で踏ん張る事も出来ない。ここまで来るのにだって車いすを要したのだ。
夜色に染め上げられた空で幾億幾万の星々が燦然と輝き続ける。こんなにも空は美しいのに世は無情だ。
仮にここで現状に絶望して幸村が命を絶ったところで地球は何一つとして変わらないで回り続けるのだろう。
だけど、幸村にとってテニスは世界を構築するものであり、それが失われたならばきっと明日と朝は来ない。
立海大付属に入学した頃、友と誓ったのは自分達がテニス部に所属している3年間は無敗を飾る事だった。
しかし、先に脱落したのは自分だ。己の意思で止めたわけでない。コートに立ち続ける事が出来なかった。
止めたいとは思わない。だが、渇望しても届かない。その歯痒さに幾度も苛立ち絶望した。なぜ、己なのか。
友であったら良かったとは思わない。しかし、自分で良かったと思えるほど、幸村はまだ大人にはなれない。
テニスが好きだ。もう一度やりたい。望む気持ちは果てないのに、この身体はそれに反して動いてくれない。
プロになりたいとまでは言わない。ただ、テニスが出来たら良い。試合が出来るならばそれ以上は望まない。
幼い頃からずっとテニスを続けて来た。たくさんのプレイヤーと試合して相手を降し、時には苦汁を飲んだ。
悔しければ次回は勝とうと練習を重ねた。悔しかったけど、テニスを止めようとは思わなかった。楽しかった。
練習を重ねれば重ねる程、高みを目指せる。先には自分が見たいと願ったそれが存在するのだと思った。
なのに――
「・・・風邪ひくよ」
こんなところにずっと居たら。
背に何かかけられる感覚。ハッと振り返るとそこには困った様に微笑む少女が居た。かけられたのは上着。
どこかぎこちない動きではあったが、少女はふわりと笑うと「隣いい?」と、幸村の隣に並び手摺りを掴んだ。
「君は・・・?」
誰、という意味合いを込めて幸村は少女に問い掛けた。恰好から見るに彼女も入院患者であるのは確か。
少女は短く「」だと答える。「君は?」と問い返されて、「・・・幸村精市」だと幸村は僅かに微笑んだ。
驚いた事は否定しないが、少しだけ零音に感謝した。あのままではきっと負のサイクルに落ちていただろう。
彼女はそうかと小さく微笑んだ。特に何かを尋ねるでもなく、ただ屋上で他愛も無い話を交わしていただけ。
最初の頃は世間話ばかりだったが、日を重ねるにつれてにいろんな話を打ち明けるようになっていた。
ただ、その会話の中でテニスの話はどうしても出せなかった。雰囲気を暗くするのを控えようとした事もある。
が、それ以上に言葉にしてしまえば、燻り続けるそれが爆発しそうな気がしたのだ。だから無意識に避けた。
臆病なだけだと言われればそれまでかも知れない。だが、幸村とてまだ子供なのだ。臆する事もあるだろう。
どこかも気付いていたのかも知れない。だが、敢えてそれを言葉にしようとしなかった。あの日までは。
「精市君はテニスしてるの?」
先程から妙に視線を感じると思ったらどうやら手を見ていたらしい。は小首を傾げて幸村を覗き込んだ。
突然の質問に思わず持っていた缶珈琲を落としそうになった。が、何とかそれを抑えて零音をゆるり見遣る。
「・・・まあね。どうして分かったんだい?」 「手が・・・綺麗だけど、私と一緒だったから」
一瞬どう答えて良いか分からなくなったが何とか笑みを取り繕い幸村は言葉を返した。そして、問い掛ける。
予想外だったのかは目を丸くする。が、直ぐに苦笑を浮かべてヒラヒラと己の掌を見せた。見慣れた手。
の手は指が細く女の子のものであったがそれと別にどこか硬質な印象を受けた。テニスをする者の手。
「
テニスという言葉を久し振りに紡いだ気がした。幸村は今、己がどんな表情をしている気付いてないだろう。
それを目の当たりにしたは失言だったのかと、僅かに目を細めた。その表情から全ては悟り切れない。
に言われて彼女の手を見て分かった。彼女の手はテニスする者の手だと、そして、生半可でない事も。
最初の頃にと幸村が同じ病気であることを知った。こんな偶然あるものかと耳を疑った事は今も鮮明。
はいつも穏やかに笑っていた。だが、その内にどれ程の激情を鎮めていたのかは知る事が出来ない。
「私ね、立海大付属高等部の女テニに属してるんだー」
へへっとは小さく笑い屋上から映る憎らしい程の青を仰いだ。高校の女テニは強いと聞いた事がある。
特に一昨年から現在に至るまで負けなしで今年も3連覇目前である、と。まるで自分の部を見ているようだ。
ふと、連二が言っていた言葉を思い出した。今年に入り女テニの部長が身体を壊し部長欠いての大会だと。
「もしかして、さんが・・・?」 「そ。噂のダメダメ部長でーす」
そこまで懇意にしていたわけではないので情報が少ない。意外だと目を丸くして見ればはにが笑った。
別になんて事は無いように笑っているが、内心は相当悔しいのだと思う。否、悔しく思わない筈が無いのだ。
「ダメって・・・」自らを罵る様な言葉に幸村は困った様に呟いた。それが虚勢なのだと手に取るように分かる。
「いや、ほんと駄目駄目だよ。・・・・・・最後の年だってのにさ」
なんで今なんだろう。そう聞こえた気がした。気丈に笑って言葉を紡ぐが痛いと思った。辛い筈なのに。
まるで辛くないといった風に飄々と笑って見せる。こうして笑うまでに彼女は幾度一人で涙を流したのだろう。
その横顔は憂いを帯びているようだった。分かるなんておこがましい事とはいえない、だが、理解は出来る。
「俺も・・・「私ね、今度手術受けるんだ。成功率低いけど」」
俺も、似たようなものだよ、と幸村が言い掛けるのを遮り、はへらりとした表情であっさり言ってのけた。
あまつさえ、成功率が低いという事まであっさりと言った。その言葉に心臓を鷲掴まれるような気になった。
恐怖という感情を例えるならば、きっとこの感情を言うのだろう。一歩間違えれば永遠の喪失しか残らない。
それなのには手術を「受ける」と笑っていってのけた。そんな博打染みた事、正気では出来ないと思う。
その博打はあまりにも危険だ。負ければ全てを失う。二度とテニスは出来ない上に待つしか道が残らない。
それでも尚、彼女は受けるというのだ。自分ならば無理だ。いまだって諦めと想いが拮抗して答えが出ない。
「・・・成功率が低いって分かってるのに受けるの?」
その考えが理解出来ない。自分でも随分酷い事を言っている自覚はあったが、聞かずには居られなかった。
はこくりと頷いた。笑っているつもりだろうけど、少しだけその表情が強張っているのが見ていて分かる。
本当は怖いのだろう。なのに、どうしてそこまで大それた賭けに出れるのか。幸村はどうしても知りたかった。
「だってさ・・・後が無いんだもん」
このまま潰れるのか、チャンスを掴むべきか、二つしかない。
そう言って、は困った様に笑った。今、目の前に提示された選択肢は二つしか無いのだ。他にはない。
このまま手術もせずに居たところで、テニスも出来ずに人生を生きるだけ。手術はある種のチャンスである。
可能性は低いと聞いた。だけど、そもそも可能性があっても無くても変わらないのだ。自分に後は無いから。
「それは・・・」
まだ提示されてないだけで、いつか自分も選択しなければならない日が必ず訪れる。幸村は小さく呟いた。
ただ偶然、先にそれを提示された零音はチャンスは自ら掴むと笑った。後が無いなら悩むだけ無駄だから。
「確かに怖いよ。でも今以上に怖いことって無いと思う。失敗したとしても良い。私、後悔したくないんだ」
ずっと一緒に色んな話をして来たのに、知らなかった。がこんなに強い瞳をするところを見た事が無い。
今、幸村を見据えるの瞳はとても強い光を宿していた。間近に忍び寄る死の影に慄きながらも戦う、と。
たとえ自らが危険に晒されたとして、それでも捨て切れないものがある。もう一度、取り戻したいものがある。
「私はテニスが好きだから。だから、後悔だけはしたくない」
――もう一度、テニスがしたいんだ。
もう一度テニスがしたい、する、してみせる。入院してから今までそのことだけをずっと考え続けて来たのだ。
この半年以上、夜も昼も朝もずっと思ってた。時の流れに足を掬われて絶望に身を委ねてしまわぬように。
テニスの無い人生なんて考えられない。存在意義なんておこがましいことは言わない。テニスは己自身だ。
『テニスをするのはもう無理だろう』
あの日、主治医に告げられた言葉に全ての感覚を失われかけた。ただ目の前が漠然とした闇に包まれた。
目を閉じて日々を思い出そうとしても浮かべる事が出来なくなった。どうしようもない虚無感に見舞われた。
声を荒げて泣き叫べば心も晴れるかと思ったけれど、そんな情けないマネ出来る筈もない。したらいけない。
個室のベッドの上で声を押し殺す日々が日課となった。ただただ、こみ上げる感情を押し流すように泣いた。
本当は知っているんだ。いくら泣いたところで自分の望んだあの場所に届く事は無いのだ。だけど止まない。
止まない雫は今日もまた零れ落ちていく。
フラフラと何かに取り憑かれたように院内を歩き回った。ただ何と無く、足が勝手に動いていただけのことだ。
リハビリ用として与えられたそれを支えに向かった先は屋上だった。外は闇に包まれ幾億幾万の星が煌く。
この闇は嫌いだと内心吐き捨てるものの、何と無く視線を上げた。視界に映ったのは夜ではなくて光だった。
ひとりでぼんやりと空を見つめる君が、そこに居た。
憂い帯びた表情で少年は空をジッと睨みつけていた。否、睨んでいるようだがどこか泣きそうな表情だった。
その横顔を自分は知っている気がした。そう、ぼんやりとだが噂で聞いた事がある。自分の母校の話しだ。
母校といってもエスカレーター式だからあまり関係ない。立海大付属の男子テニス部は強豪なのだと聞く。
勿論、自分の所属する女子テニス部とて強豪校の仲間入りを果たしている。今年を含めて3連覇を果たす。
そう友と誓ったのは今から3年前の入学式のこと。中学でも成し遂げた3連覇を友に果そうともう一度誓った。
それを果たせるだけの実力を保持していると自負している。だから、友と一緒に約束したのだ。それなのに。
―――否、今は自分の話じゃない。目の前に居る彼のこと。その男テニの部長が病で倒れたのだと聞いた。
それも自分と同じ病名であるらしい。噂とは恐ろしいもので当人が有名であればある程、どこまでも広がる。
もしかすると、部長と言う立場に居る自分も似たように学内で噂されているのかも知れない。苦笑が浮かぶ。
と、それはさておき。
「風邪ひくよ、こんなところにずっと居たら」
そう言って、上着をその背中に掛けた。
驚いた様に振り返る幸村。
それが、私と幸村精市の出会いだった。
「おめでとう、精市君」
まどろんだ意識の中で幸村が耳にしたのは穏やかな響きの耳慣れた声。刹那、弾かれた様に目を開けた。
そこは己の個室で、最初に視界に映ったのは幸村を覗き込む
水分を長く摂っていなかった所為だろうか、声が掠れる。
「ありがとう。俺は・・・」
成功したのか、失敗したのか。最初に気になったのはその事実だった。あまりにも不安が大きかったからだ。
失敗したのではないかと不安が過ったのは目の前に前例が居るから。否、失敗ではないのかも知れない。
だけど、はもうプレイヤーには戻れなくなった。軽く打ち合う程度ならば出来るが試合は出来ないのだ。
試合をするにはの身体に負荷がかかり過ぎるらしい。無理は出来ない。それでも彼女は笑って見せた。
またラケットに触れられるならば失敗じゃない、と。少し目が赤かったのは泣き腫らした後だったからだろう。
「・・・成功したよ」
は本当に嬉しそうに微笑んだ。その笑顔が眩しくててふと気付いた。目覚める前に見た光はこれだと。
誰かに呼ばれた様な気がしたのだ。そして、光が弾けた。それから目を開けるとそこにはが居たのだ。
突然腕をひき抱きしめたからだろう。小さく
そして、彼女は「おめでとう」と、もう一度呟いた。
「ねぇ精市君」
その日は晴天だった。の座る車いすを押しながら二人が出会った屋上に足を運ぶ。そしてが言う。
クスクスとどこか嬉しそうに笑う辺り、大会の結果は上々であったようだ。「何?」と、幸村も笑って問い返す。
「私ね、コーチを目指そうと思って」
それならばテニスを捨てなくても済むから、とは笑った。プロにはなれない。だけど、繋がっていられる。
ほんの僅かでも良い。テニスに繋がってたいとははっきり言葉にして紡いだ。幸村は一瞬目を見張る。
だが直ぐに穏やかに微笑んで「そうだね」と答えた。それが彼女の選んだ答えなのだ。ならばそれが正しい。
ならば自分は彼女の夢も共に追おう。
そして――
(いまも、このさきも)