元就様元就様。めには貴方様の不機嫌の理由が分かりかねます。何故そうも不機嫌なのでしょうか。
どうかその輪刀をお納めください。その銀色の煌き眩しくてなりません。何がお気に召さなかったのですか。

「貴様は我の何ぞ。答えよ」

鋭く発せられたその問い掛けに間髪入れずに答える。「毛利の手駒・・・元就様の僕に御座います」――と。
その回答は間違っていたらしい。明らかに元就の機嫌が急降下するのを感じた。何かが鋭く突き刺さった。
謝罪をしようにも理由が分からねば仕様がない。困惑を隠せないまま元就の不機嫌そうな横顔を窺い見る。


――やはり、その横顔は綺麗だ。



事のはじまりは同盟国である四国の長曽我部元親からの宴の誘い。それを元就は不服ながらも了承した。
だが、実のところ誘われたのは元就の手元に居るだけであったのだが気付けば両軍総出の宴に変貌。
場所は長曽我部軍の船上で毛利領に船を付けるらしい。別に毛利の城でも良かったのではないかとも思う。

元就と元親は良い意味でも悪い意味でも対照的な存在だとは考えている。真逆だ。が、同時に似ている。
これを言えば最後ブーイングの嵐だろう事は言うまでも無い。故に、永遠の好敵手なのかも知れないけど。
長曽我部元親という男は面倒見が良くて情に篤く取っ付きやすい人物であると記憶をしている。兄貴肌だ。
その陽気な性格には元就とは異なった安堵を抱くことが出来た。毛利元就を一言で表すならばまさに冷淡。

人間を駒としての利用価値でしか判断しようとしない。恐ろしい程の淡白さに反発心を抱いた時期もあった。
詭計智将の名は伊達では無い。その冷淡さを畏怖する者は多い。しかし、誰よりも気高くて綺麗なの存在。
その怜悧さに惹かれた者も少なくはないだろう。今まで他人に興味が薄かったが元就に関しては別だった。
は己が根本から元就に惹かれている事を自覚していた。が、それがどこから来るのかは非常に曖昧。


「お久し振りでございます。元親様」

わざわざ出迎えに姿を見せた元親の前に跪いて頭を垂れる。毛利で培った自然な振る舞いで、最早癖だ。
しかし元親はそれを好まない。再会を果たして早々に止めろと咎められる。しかし、立場的にこれが当り前。
相手は四国を治める者。だが、元親がそれ以外を望むならばそれに応えるのが友に対する礼儀というもの。

「よぉ元気そうじゃねぇか、「そやつに礼を正す必要などあるまい」」

、と続く筈だった元親の言葉は元就の不躾な言葉により遮られる。一瞬にして場の空気が凍り付いた。
毛利、長曽我部の者達は呆然と自国の主を見遣った。遮られた元親は頬を引き攣らせて元就を見ている。
「元就様」。苦笑を浮かべて仲介に入ったのは。仮にも同盟国の、そして、四国の覇者にそれは無い。
だが、そんな事は中国の覇者には関係のない事のようだ。いつもと何ら大差ない態度に自然と肩を竦めた。

「元親様こそ相変わらずお元気そうで何よりでございます」

少しでも場の空気を和らげようと呉葉はふわりと微笑んで言葉を紡いだ。以前よりもずっと丁寧な口振りだ。
それがが毛利に戻った事を示しているようで面白くない。あの頃の呉葉は風のように自由奔放だった。
「堅い言葉は止めろ(よ)」、と。不意に元就と元親が珍しく口を揃えて言った。僅かに瞬いては微笑む。
妙なところで息の合う二人はやはり似ている。「お招きありがとうございます元親殿」と、砕けた調子で言う。

「気にすんな。良いってもんよ。…にしても、テメーも相変わらずだな」

主君の手前、和らいだとは言えどもやはりいつもよりぎこちない口調だ。元親は豪快に笑って言葉を返した。
そして、皮肉る様に元就に視線を向けて吐き捨てた。フンッと鼻であしらう元就に可愛げがないと毒吐いた。
何故の主君がこれなのか未だに理解に苦しむ。しかしそれ以上言い合う気も無く、船内に招き入れた。

そして、宴が始まる。

ハラハラするような幸先だったが佳境に近付くにつれて双方盛り上がりを見せた。個々に宴を楽しんでいる。
は揺れる船と酒に酔ったのか船外へとそっと抜け出した。揺れる船の感覚が抜け切らず感覚が鈍る。
ふらふらとした足取りで見慣れた毛利領の岸壁に飛び移る。その足取りが酒が入ったという割に軽やかだ。
この場所は彼女のお気に入りの場所である。月が綺麗に見えて、普段は静寂に包み込まれる憩いの場だ。


「うっぷ・・・っ・・・・・・気持ち悪ぅ・・・」

だが、案の定、船と酒の酔いが回って気持ち悪い。は岩肌に腰かけると満天の星空を仰ぎ見た。綺麗。
若草色の扇子を取り出して軽く仰いだ。これは毛利領に来て間もない頃に初めて元就に与えられた品物だ。
「これで舞を極めてみせよ」、と、嗜みがある事を告げた時に言われた。思えばあれは初めての命令だった。
熱を冷ます様に夜風を扇子で混ぜる。酒で上昇した体温を冷ますには夜風はとても心地良い冷たさである。

ゆっくりと思考の海に意識を沈めていく。こちらの時代に来てからもう随分と時間が過ぎたような気がする。
こちらに来た当初はまだ戦乱真っ只中でであった。それに比べれば今はまだ落ち着いた方だと言える筈だ。
確かに、まだ各所で小さな小競り合いのような戦は起こる。だが、この中国地方は他に比べて平穏である。
元就は国を乱そうとする者を決して赦しはしない。見せしめも含めた容赦の感じさせない罰を与えた。結果。
毛利元就の治める安芸の地は平穏だ。それは四国と同盟を結び更に確立した。詭計智将の手腕が見える。


「船酔いか?」

不意に背後で気配を感じた。元親の落ち着いた声が届くとは緩慢な動作で振り返り苦笑を浮かべた。
「お酒と船には慣れていないもので」。場を白けさせないように抜け出したつもりだったがバレていたらしい。
船は苦手だ。幼い頃海に落ちて以来、あまり好きにはなれない。それに水に関してはロクな思い出が無い。
外に出て随分と経った。酔いは幾分覚めたが戻る気にはなれない。少しだけ考える暇が欲しかったからだ。

「珍しく素直じゃねぇか」 「私はいつでも素直ですよ?」

くっと喉で笑うと元親はの隣に腰かけた。慣れたもので、警戒はおろか動揺もせずには小さく笑った。
「よく言うぜ」。どういう意味か、「失敬な」と、それに対して冗談を交えて返した。いつもながらの遣り取りだ。
元親には以前世話になってい以来、それなりに親しい関係にあると思う。崩した口調に違和感は覚えない。

それにしても、素直に見えないだなんて失礼な話だ。それに、それは捉える側の認識問題なのではないか。
そう思ってはみるものの敢えて言葉にしない。否定されるのがオチだ。こんな軽口の応酬も慣れっこである。
それに、別にこの遣り取りが嫌いというわけではないのだ。元就との遣り取りとはまた違って楽しいとも思う。


戦国時代に来てからは誰かと何かと過ごす時間が増えた。今まで持て余す程あった一人の時間が皆無だ。
理由は明白で一つだけ。常に元就の傍に居るから。当然ながら寝所は違う。が、日に共有する時間は長い。
だからなのだろうか。考え方に変化がある。その良し悪しは分からないが確実に変化の兆しが見えている。
少しだけ不安になる。『今』に甘えているだけではないか、と。此処に居るからそう思うだけではないか、と。

簡潔に行ってしまうと怖いのだ。元の時代に還る事が。ただ、漠然と怖い。あの生活に戻ることが恐ろしい。
確かに元の時代ならば面倒事も厄介事も起こらないだろう。奴隷なんてよく分からない言葉を受けず済む。
だけれどやはり違う。どうしてもあの日常に戻りたいとは思えない。安息と言うものを知ってしまったからだ。

そして――・・・・



「なあ、なんで毛利に仕えてんだ?あんたなら引く手数多だろうがよ」

不意に意図せず紡がれた元親の言葉に顔を上げる。そして首を傾げた。詰まる話、何を言いたいのだろう。
確かに誘われることは数知れずあった。しかし、呉葉は決してその誘いを受け入れようとはしなかったのだ。
断る理由があったわけでない。ただ、何と無く最初に元就が「我の奴隷になるがよい」と、言った。それだけ。
生命も生活環境も保障されている。だから、元就の傍で、彼に仕える。ただそれだけの事に過ぎないのだ。


「元就様が私を傍に置いてくださるから・・・では駄目、かな?」

何とも曖昧で不確定な言葉だと思う。しかし、尤もらしい言葉が他に思い浮かばなかったのだから仕方ない。
毛利に固着しているつもりはない。だが仮に元就に不必要だと捨てられたとしても他に仕えるつもりは無い。
生きる事をあきらめているわけではないし、忠誠心があるわけでもない。ただ、何と無くそう思うだけなのだ。


「ならば、長曽我部に仕えろ」

命の保証も、生活の保障もしてやる。

俺に仕えろと元親は言った。呉葉の手首を捉え真っ直ぐに紡がれるその言葉の真意を悟る事は出来ない。
思わず圧倒された。正直に言うと驚いた。まさか、元親が冗談であれどもそんな風なことを言い出すなんて。
動揺しているのだろうか。上手く言葉が紡げない。元親のことは嫌いではないしむしろ好き。それは事実だ。
しかし、仕えられるだろうかと問われたならば答えは否だ。嫌いではない。だけど、仕えたいとは思わない。

「・・・冗談が過ぎます」

明白な言葉を返さないのは卑怯だろうか。仮にそうだと罵られたとしても、それがの生き方なのである。
今更変えられない。至近距離の元親を押して距離をとる。「私は元就様の駒」真っ直ぐに見据えて告げた。
自分で自分を駒だというのも虚しさが募るが事実だ。きっとそれだけはこの先も決して変わらない答だから。

「ワリぃな、冗談が過ぎた。・・・お前、なんだかんだで毛利に思い入れがあるんじゃねぇか?」

そんなの反応を見とめてから元親は小さく笑って冗談めかした風に尋ねると掴んでいた手首を離した。
全然反省していないとは僅かに眉を顰める。だがその言葉を否定はしない。否、出来る筈が無かった。
しかし、試されている気がして癪に障る。「…ちか」咎めるように呼ぶ。どうやら現在進行形で試されている。

僅かに口調がきつくなるのは否めない。試されるのは好きじゃない。「何だ図星か?」くつくつと元親が笑う。
まるで悪戯に成功した子供の様な表情に怒気を殺がれた。「安芸で過ごせば愛着も沸きましょう」と、溜息。
面倒事は好きじゃない。試される事も好きではない。そうにも関わらず、元親は尚も質問を投げ掛けて来る。


「それとも、毛利元就に特別な感情を抱いている、か?」

元親が小さく笑った。しかし、それはあり得ない事だ。瞬間的に否定の言葉を紡ごうとするが言葉に詰まる。
上手く言葉にならない。元就は主君であり恋現などとくだらない感情を抱く相手には絶対に成り得ないのだ。
そもそも何を持ってして特別な感情と呼ぶのか謎である。今の関係性自体が極めて特例なのだろうと思う。

「・・・何を申されているのか理解しかねます」

我ながら苦し紛れの言葉だと思った。この気持ちをどう整理すれば良いのかまだ自分でもよくわからない。
ただ、そんな状態を誰かに見透かされるなんて御免だ。試されること以上に見透かされる方がもっと嫌いだ。

「無理にとは言わねぇよ」

一瞬反応に躊躇ったを見つめて元親は静かに言葉を紡いだ。彼は狡い。今更言われた所でもう遅い。
今まで曖昧に濁して答えを見つけずに居た事を向き合わされた以上、答えを探す他に道が残されていない。


「・・・元就様は日輪の申し子。私のような者には眩し過ぎる存在」

故に、何かを錯覚したのかも知れません。

無意識に口が勝手な言葉を紡いでいた。しかし、その言葉は未だ取り繕う事が出来るのだから大した者だ。
しかし、その素直でない言葉に少なからず本心が含まれているならば無自覚ほど怖い物は他に無いと思う。
最初は驚いた表情を浮かべた元親だったが、直ぐに小さく微笑み「そうか」と、呟いた。何かを察したらしい。


「・・・・・冷っ」

不意に夜風が頬を撫でた。夜の潮風ともなれば冷たさも孕んで寒い。不意に呉葉の視界を何かが覆った。
これは羽織りだろうか。「…冷えて来たな、戻るか」。裾を持ち上げると元親と目が合った。彼のものらしい。
こくりと頷いて先を歩く元親の後を追いかける。酔いは冷めた筈なのにほんの少しだけ顔が熱く感じられた。



がこっそりと宴を抜け出した事は言わずとも知っていた。そっと席を立った様子からしてその理由もだ。
酒と船にでも酔ったのだろう。あれはあまり強く無い。何れ戻ると盃を傾けた。が、宴の騒々しさが煩わしい。
宴なのだからそれが当然だが、そもそも元就は騒音を好まない。此度は兵の戦意を上げる為と了承した。

しかし、その一番の理由はが誘われたからだ。あれを一人にしたならば必ずや厄介事に巻き込まれる。
それを見越した上で元就は仕方なく自らも参加する旨を告げた。仕方なくである。そうだというのに―――。
そのが居ない上にあまつさえ元親までもが見当たらない。2人が親しい関係なのは元就も知っている。
だが無性に腹が立つのは何故だ。どうにも気に入らない。何故、常に傍に在るべき駒が傍らに居ないのか。


それから小一時間ほどして元親とは戻って来た。が、その姿を見捉えた瞬間、苛立ちが頂点に達する。
元就は無言で立ち上がり、元親の羽織りをかぶった呉葉の前を横切る。「おい毛利」元親の呼び止める声。
だがそれも無視して「部屋に戻る」と吐き捨てる。明らかに不機嫌な主の態度には少なからず慌てた。

そんなを一瞥して「貴様も来い」と、冷やかに吐き捨てる。その言葉に呆然としたのは元親の方である。
だがそれさえも気に留めずに用意された客室へと足を運んだ。遅れて入って来る動作にさえ苛立ちが募る。
ここまで不快な気分に陥るのも珍しい。いつもならば少なからず合わせる歩調もその時ばかりは酷く早い。

そして――



「ならば貴様の主は誰ぞ」

今に至る。

二度目には答えよとも付いてくれないらしい。困った風には苦笑して「元就様でございます」と、答える。
迷う事無いその言葉に少しだけ空気が和らぐ。「何故、西海の鬼と居た」。しかし、再び質す声は酷く冷たい。
淡白な声調にびくりと肩が揺れる。怖く無いわけではない。が、無意識に捨てられたらどうしようかと思った。

しかしそれと同時にその声に安堵を覚える自分が居た。耳に届くその声は畏怖と同時に心地良さを覚える。
凛然とした己を従える者の声だ。このまま瞳を閉じたならば、心穏やかに眠れるのではないかと錯覚する。
この声に名前を呼ばれてこの声に命じられる。だからこそどこかで失うことを恐れているのかも知れない。


「元親様は酒と船に酔った私を迎えに来てくださっただけに御座います」

だけ、と言うには少々かなり込み入った話をしたような気がする。だが他に言い様も無くそれは事実なのだ。
そうだとしても何故そうも機嫌を損ねるのか理解に悩む。余所者と駒が通じるのは厄介だからということか。
人間とはかくも愚かで浅ましい生き物。何を仕出かし、いつ裏切るとも知れない。それ故の警戒なのだろう。

「主を放って男と談笑などと巫山戯けた駒が居たものよ」

当然ながら、が情報を漏らすとは到底思えない。無知とは思うが彼女は聡明だと元就は認識している。
それでも一向に苛立ちは止まず、責め立てるように言葉を紡ぐと呉葉は困惑した風に言葉を閉ざしてしまう。
かと言って、反論の余地を与える気は無いが。の羽織る羽織りから僅かに元親の香が鼻を刺激する。
「・・・脱げ」「はい?」。何とも間抜けな遣り取りが交わされた。突然の言葉に呉葉は思わず目を丸くして見た。


「誰が裸になれと申したこの虚けめが」

その羽織りを脱げと申したのだ。

呆気に取られる呉葉に淡白に吐き捨てられる。反射的には羽織りを脱いだ。ほぼ条件反射に等しい。
元就の言葉はにとっては絶対遵守である。しかし脱いだのは良いが、その意図が掴めずに困惑する。
そして、反応を窺うように元就を見遣れば彼は珍しく笑っていた。「・・・其れに名残でもあるのか?」と、嘲笑。

「いえ・・・ですがそれは、元親ど・・・長曽我部様の持ち物にございます」。本能的に主の機嫌の機微を察する。
許可を受けた呼び方である元親殿と言いかけると同時に明らかに元就の機嫌が急降下。慌てて言い直す。
ここまで不機嫌な元就も珍しく、その扱い方が分からない。どうしたものかと、無意識に扇で手遊び口籠る。

明らかに困惑した様子で手遊びするの手元に視線を落とすと、視界に見慣れた若草色の扇子が映る。
何と無くその扇子を取り上げると、には珍しく反抗的な目を向けて声を上げた。「元就様!」と。珍しい。
それは嘗て舞いの練習用にと自らが与えたものである。それで完璧な舞を舞って見せよ、と。大切なのか。
返してくれとは流石に口にしないが、確かに目が語る。無意識とは言えそれを求めるに優越感が募る。

「・・・出来の悪い奴隷には仕置きが必要よ」

その扇での顎を持ち上げると、元就は見下して冷やかに吐き捨てる。その言葉には瞳を揺らした。
」と、名を呼べば弾かれた様に顔を上げた。「は、はい!!」そして、ほぼ反射的に返事が返って来る。
ほぼ同時に若草色の扇を畳に放り投げると声にならない悲鳴を上げて床に落ちる前にそれを受け止めた。

地面に這い蹲る様な惨めな格好だった。されども、それ以上にその扇を落とす事の方が嫌であったらしい。
たかが扇子如きで、と。理解に苦しむと元就は思った。部屋に用意された盃を片手に腰かける。そして一言。
「舞ってみせよ」――無駄な言葉を一切省かれた短い言葉。されども、衝撃を呼び起こすには十分過ぎる。



「貴様には夜が明けるまで舞い続けることを命ずる」

手抜きは許さぬ、分かったな。

有無を言わせない物言い。威圧感と反論の余地がどこにもないと悟るとは片膝を付いて頭を垂れた。
しかしながら考えずともそれが如何に無謀な事であるかは分かる。今は12時で明け方までは少なくとも2刻。
武将でも無くましてや兵でもには到底踊り切るのは無理だろう。とは言え、主君の命令は絶対遵守だ。


しかし例えどんなに頑張ったとしても最初の一刻半が限界だった。現代時刻に換算して2時間半程の時間。
それでも随分持った方だ。そもそも2刻なんて無謀過ぎる。しかしそれを元就に言っても全く意味を成さない。
「鍛え方が足らぬのだ」と一蹴されるだけ。ならやってみと言いたいが元就ならば難なくこなしてしまうだろう。

それはそれで屈辱的だ。

しかし確かにこんな調子ではいつ完璧な舞いを舞えるようになるのか皆目見当がつかない。練習あるのみ。
「申し訳ありません」疲労が溜まると同時に粗が見え隠れし始めたその舞に元就が眉を顰めたのが見えた。
本当は主君が望む様な舞を軽やかに舞ってみせたい。だけど、生憎自分にはまだそれだけの力量が無い。



「・・・そのような舞、見るに堪えぬ」

もうよい、止めよ。

吐き捨てる様に告げられた言葉。同時にどっと疲労が込み上げて立つのも儘ならなくなる。窓の外を見た。
明るみ始めた空と鳥達の囀りが目と耳を刺激する。気付けば辛うじて何とか明け方まで舞っていたらしい。
踊れたとは言えど、それはとてもではないが見れた代物ではなかった筈だ。だが、それよりも大事に気付く。

自分に付き合った結果、元就は眠っていない。


「っ申し訳ございません!直ぐにおやすみくださいませ、御身体に障ります」

今更だとは思うものの、今の今まで舞うのに必死で完全に失念していた。慌てて休む様にと言葉を紡いだ。
あり得ない。よもや、主君を一晩付き合わせるなんて。「必要ない」あしらう様に元就は吐き捨て立ち上がる。
が言葉を返す暇も無く足を外に進めた。間も無く日が昇る。日課である日輪へ祈願に向かうのである。
しかし、だ。座っていただけで疲労は無い。だが、一晩付き合わせてしまったという罪悪感がに募った。



昇る朝日に手を合わせる。そして、瞑想するように瞳を閉じた。それは既に日課となっている所作であった。
日課の日輪への祈願。それを欠かすことはおそらく余程の大事でない限りあり得ない。祈るは毛利の繁栄。


「・・・・・・何ぞ」

背後に感じた気配に元就は目を閉じたまま問うた。相手は見なくとも分かる。幾度も刀を交えた相手なのだ。
この神聖な時間を阻む無粋なその気配に少なからず苛立ちが募る。否、理由はそれだけないのは明白だ。
認めるか認めないべきかまだ悩む。しかしながらはっきり言えるのはやはりこの男は気に入らないという事。

「寝させてやらなかったのか?」と、聞き様によっては誤解を招く発言。無言で振り返り元親を睨み据える。
「無粋な」。答える気は無いのか、吐き捨てた言葉は常と変わらず淡白。それ以上の深入りを拒絶する響き。
しかし珍しくその言葉に確かな感情の色を見た元親は喉で笑う。元就には珍しく感情的である事が窺えた。


「長曽我部では客室に耳目を貼り付けるようにとでも聞かされるのか?」

下賎な、と鼻であしらうように元就は吐き捨てた。先の言葉に対する否定も肯定もしない。見下した態度だ。
「毛利では女を一晩中舞わせろと習うのか?」と、まるで売り言葉に買い言葉だ。煽るように元親が言った。
一瞬の間を置いてから、明らかに場の空気が凍った。元就の元親を見据える瞳がよりいっそう鋭さを増す。
そんな毛利元就を見たのは初めての事かも知れない。元親は驚愕と同時に、フッと小さく笑みを漏らした。


(・・・そんな顔も出来るんじゃねぇか)

安堵に似た何か

ずっと元就は心を欠いた淡白な男と思っていた。が、そうでも無かったらしい。今の彼は随分と人間らしい。
の名前。否、存在が話に出た途端に明らかな不快の色を示した。今までにない反応だと理解している。
元就の呉葉に対する態度と執着が特殊なのは目に見えて分かる。駒と呼ぶには入れ込み過ぎているのだ。
に対する感情は間違いなく特別なものなのだろう。それは昨晩の態度を見てれば明白な事実である。


「・・・あれは我の奴隷よ」

静かに紡がれた言葉。元就が元親に向けた強い感情を孕んだ視線に一瞬目を疑った。こいつは誰なんだ。
それはほんの刹那の事で、「貴様ごときに手懐けられる駒では無いわ」と、いつもの剣呑な光を孕んだ瞳。
いつもと全く変わらない。それは警告なのか、はたまた、別の何かだろうか。元親は面倒臭そうに髪を掻く。

「悪ぃな、俺もあいつを気に入ってるからよ」

そう挑発的に告げれば、眉を顰めた。そして、「愚かな」と。その一言の意図を全て計り知ることは出来ない。
しかし、自然と口角が吊り上がる。意外なところで詭計智将の弱点を見つけたものだ。これは予想外である。

そして、自らもそれに入れ込むとは――。



部屋に戻ると壁に凭れ掛かって眠るの姿が映った。余程疲れていたのだろうか目覚める気配は無い。
そもそも気配に聡いが、ここまで距離を縮めて目覚めないのも珍しい事である。それをじっと見下ろす。
を手元に置いて随分と時間が経つ。一度は手放した筈の手駒が再び手元に戻るなんて思わなかった。
だからもう諦めていたのだ。誤解とは言えども、を毛利家から追放して手放した時点で戻って来る事を。

それでも、は戻って来た。

何時如何なる時も必ずは自分の傍に控えている。武将でも、ましてや、忍でもないただの小娘なのに。
何時死んでもおかしくない存在だというのには必ず自分の元に戻って来る。いっそ疎ましく思えるほど。
だが、を否定したくとも出来なかった。という存在に毛利元就は確かに心を満たされているのだら。


「・・・もう少し危機感を持たぬか」

だが、仮にも女がこの無防備な寝姿。もしも部屋を訪れたのは自分で無くて、別の者だったらどうする気だ。
まるで安心しきった寝顔を暫らく見つめる。は紛う事無き女。力を込めたならば壊れてしまうのは明白。

そして、これは自分のものだ。奴隷と称したそれなりに価値ある手駒。だからこそ手元で生かし続けている。
風のバサラ者。だとしても、戦の役には立たず、情報収集にも全く役立てない。どこまでも無能である手駒。
手ばかりかかる駒。それを愛着と呼べるだろうか。「くだらぬ」そう吐き捨て、元就はの鼻先を摘まんだ。

目覚めまで後僅か。



某茶室でお題として出たので書いてみました。
我が家の元就さんはこんな感じです。
テーマは『羽織』『仕置き』『あにき参戦』です。

2010年4月以前 脱稿