『好きだよ』
たった一言。だけど、それを言葉にすることがこんなにも難しかったなんて――あの頃はまだ知らなかった。
ただ、純粋にあの子が好きで、一緒に居たいと願っていた。何も叶わない願いを望んだわけではないのに。
「ニコルは大きくなったら誰をお嫁さんにしたいんだい?」
まだ幼い息子を抱き上げ、父ユーリは優しく微笑んで首を傾げた。だが、いつだって答えは変わらなかった。
息子の口から紡がれる名はいつだって一つしかなかった。それは、彼の従兄弟で唯一無二の片割れの名。
「です!」
父に抱き上げられて嬉しいのか、天使の様に柔和な笑みを浮かべニコルは答えた。純粋無垢とはこのこと。
ユーリはその言葉に、そして、息子の反応に自然と笑みを言葉を返した。そして、姪の姿に想いを馳せた。
鮮やかな深紅色の髪、そして、深い闇色の瞳。ニコルと同じように無邪気に笑って甘えてくる可愛い姪っ子。
いつだってそうだ。この問いに返る名前は変わらずに『』だけ。きっと、同じ事をに尋ねても同じ。
生まれたときからずっと一緒に居る二人。常に一緒だったのだから互いに惹かれあうのも無理は無かった。
そんな二人を両家の親は微笑ましく見守っていた。二人がそのまま恋仲になったとしてきっと認めるだろう。
もう少し大きくなって、それでも二人が本気で一緒に居たいと願うならば祝福だってしてやろうと思っていた。
プラントは婚姻統制制度を定められている。故に規約に従い遺伝子適合の検査をしなければならないけど。
だけど。幼い頃からお互いに好き同士のとニコルを引き離そうなどと、両家の親も思いはしなかった。
の両親からすればニコルは血は繋がっていないが息子同然、そして、ニコルの両親からしても同じだ。
「・・・って、随分と昔の話を持ち出してくるんですよ?本当に嫌になりますよ。」
此処はマイウス市のアマルフィ家のニコルの自室。うんざりしたような深い溜息を吐いてニコルがぼやいた。
昔話というものはいつだって耳にするとほろ苦い。確かにそんな時期があったこともあるのだが。それでも。
「ユーリおじ様は昔からそういう類の話、大好きだったしね。おじ様らしいや」
出されたカルピスを飲みながらはくすくすと笑い言葉を返した。ユーリの性格は陽気で親しみやすい。
そういえば、昔よくそんな質問をされたなぁとしみじと呟く。抱っこをされてはそんな問いかけをされていた。
「 お婆さんみたいですよ。まだ若いのに」
と、適当に流した罰か、ニコルの手痛い言葉が返って来た。「余計なお世話」。と、慣れた風に言葉を返す。
だが、ニコルはいつだって上手だ。そんなの言葉をすんなりと流して考え込むように窓の外を見遣る。
13歳を迎えた二人にとっては随分と懐かしい話。『将来はニコルのお嫁さんになるの』と、無邪気に言った。
今思うと恥ずかしい話だが、それでも、あの言葉に嘘はない。今だってそれは変わらずにずっと続いてる。
否、きっと、あの頃以上にニコルを想う気持ちは増し続けている。子供染みた表現だけどただ好きなんだ。
大好きで、ニコルのことがとても大切。それだけはこの先もずっと、変わらないと思う。ただ、一緒に居たい。
変わらないで居て欲しい。この気持ちは不変だと信じているから。一緒に居るだけで心がとても安らぐんだ。
小さい頃の約束を今も馬鹿みたく覚えている。無邪気な夢話だけど、そのいつか訪れるのずっと願ってる。
「そう言えば、今、父さん達が遺伝子の適合率の検査をしてるみたいですよ。僕らの」
ゆったりとしたクラッシックミュージックが心地よい。それをBGMにゆったりとした時間を二人で過ごしていた。
何の前触れも無くニコルがそう言った。突拍子も無い言葉にに思わず口に含んだカルピスを盛大に吹いた。
「汚いですよ。」
優雅に紅茶を飲みながらニコルが冷めた口調で言う。だが、はカルピスが器官に吐いたのか蒸せた。
そうなる原因を作ったのはどこの誰だと涙目になりながらは思う。そして、恨みがましい視線を送った。
「・・・だって、ニコルがいきなり変な事言い出すから・・・・・・」
何だかんだで背中を摩ってくれる辺り優しいといえば優しい。だけど、飲んでいる時に驚かすのは良くない。
そして、恨み言を言うようにぼやいた。だが、ニコルはおかまいなしの様子で相変わらず紅茶を飲んでいる。
別に遺伝子適合検査に関して驚いたわけでない。このプラントに居る限り何れは確かめねばならない事だ。
ただ、驚いた理由はそれを今の今まで知らされていなかったこと。意地悪だ。一言くらい言っても良いのに。
嬉しくないといえば嘘になる。だが、こうも突然言われると歯がゆくて何ともいえない気持ちになってしまう。
(ニコルは…如何思ってるのかな…?)
横目でちらりとニコルの表情を盗み見る
ニコルはこの件に関してどう考えているのだろうか。自分もニコルも昔みたく幼いままでなく成長したのだ。
あの頃の言葉が今も本当かは分らない。そもそも、あれは幼少時代の無邪気な感情を言葉にしただけだ。
成長して『好き』の意味を知った今、それが合致するのかは分らない。自分がそうであってもニコルはどうか。
「良い結果が出るといいですね。」
さらりと紡がれた言葉に目を丸くする。そして、弾かれたように隣に座るニコルに視線を向けた。目が合う。
ニコルはとても穏やかに微笑んでいた。その横顔に、微笑に、心の中で温かな灯が灯ったような気がした。
嬉しかった。流石に鈍いでも理解は出来る。ニコルと自分の気持ちは幼い頃のままで変わってない。
想う気持ちは一緒なのだと自惚れでなく確信した。一緒に居て良いのだと言葉はなくと言われた気がした。
ただ、ひたすらに嬉しく思えた。ニコルの傍に居ることを許されたのも、この先を共有できるという事実にも。
「・・・・・・だね。」
それに応えるように柔かく微笑み甘える様にニコルの肩に凭れ掛かった。柔かいニコルの髪が頬を掠める。
ニコルの髪からほんのりシャンプーの匂いが香る。優しい香りだ。ニコルの匂いなのだと安堵感が溢れた。
今この瞬間がすごく好き。
だから、その先に何が待ち受けているかなんて思いもしなかった――。
――此処はセクスティリス市にある家。
「嘘・・・だろ・・・?」 「そんなっ・・・!!」
結果を記されたその紙を見て、両家の親は言葉を失った。誰のものとも取れない悲痛な声が室内に響く。
それぞれの脳裏に最初に過ぎったのは、仲睦まじい娘と息子の姿だった。従兄弟同士でとても仲の良い。
「っこんな事・・・あまりにも酷じゃないか・・・っ!!」
ユーリの悲痛な叫びが薄暗い室内に響き渡る。何故、何万分の1の確立でこの結果が導き出されたのだ。
逆に低い確率だというのに。どうして、よりにもよってこの二人がそうなるのだ。もっと他にも居る筈なのに。
どうして――
『98%』
年々出生率の下がってきているコーディネーターにとって、その数値はどれほど嬉しい数字であるだろうか。
だが、それはあくまで普通の家庭でいえばの話。家はコーディーネーターの中でも特別である。
そんな家からすれば、この数値は衝撃であり不幸のはじまりとしか言えない。何と皮肉な運命。
「・・・この話は無かったことにして貰う。ユーリ君やロミナに悪いが、ニコル君にその旨を伝えて欲しい」
重々しい沈黙の中、静かにマヒトの父であるトゥール・インテリジェンスが吐き捨てた。が、その表情は硬い。
納得いかないというのはその表情から分かる。だが、かといってみすみす娘を不幸にするわけにもいかない。
「・・・トゥール兄さん・・・・・・っ」 「・・・ごめんなさい」
ニコルの母 ロミナが泣きそうな声でトゥールに呼びかける。だが、トゥールは応える事無く部屋を出て行く。
更に空気が重くなっていく中、の母、マコトが深々と頭を下げてそう告げた。苦渋の表情が浮かんだ。
泣き崩れるロミナの肩をユーリは拳を握り締めたまま抱き寄せた。そして、俯いたマコトの横顔を見つめた。
この世界に『想い』だけで護れるものなんてどこにも存在しない。この世はそんな優しい世界ではないのだ。
そんなこと、重々承知していた。否、つもりだったのだ。だけど、それでも、願わずには居られなかったから。
無謀だと、愚かだと分っていても、そう願い続けていたかったのだ。そんな優しさのある世界だと信じたい。
(・・・幸せになって・・・・・・欲しかった・・・のに・・・)
噛み締めた口端から 僅かに紅が滲んだ
だが、 世界は望むことさえ許してくれない。まるで見せ付けるように皮肉な運命を眼前に叩き付けるのだ。
このときばかりは、呪われたの血を心底憎んだ。ごく当り前の小さな願いでさえ叶わないのだ。
『大切な人と一緒に居たい』と、当り前の願い出さえ届かない。掴もうとすれば泡沫のように擦り抜けていく。
プラントにおける『婚姻統制』がいけないのか、それとも、『の血』がいけないのだろうか。遠い。
人の夢とはかくも儚く、小さな幸せからさえも遠ざけていく。 何も傲慢なことを願ったわけではないはずだ。
ただ幼い子供たちの淡い想いを尊重してやりたかっただけ。たったそれだけに過ぎない。なのに叶わない。
『はニコル君が本当に好きなのだな』 『うん!大好きです!』
『これからもを支えてやってくれるかな?』 『はい、勿論です!』
『ずっと一緒に居たい(んです)!』
幼い二人の願いは 悠久に散った――
祈りは儚く散っていく
2010年4月 脱稿