かつて戦争を放棄して、平和だった筈のその国は20年代半ばから掌を返すように憲法を改正して激変した。
『国を守る』という名目上、武力を再び手にする。以来、他国との関係は悪化しキナ臭い情勢が続いていた。
しかし、誰もがかつてのあの惨劇が起こる事はないだろうと考えていた。否、切実にそれを願っていたのだ。

しかし、40年代後半。恐れていた事態が起こった。その国、倭帝国は、否、帝国軍は戦地へ赴く事となった。
倭帝国の未来を担う若人の多くは自国と己の大切なものを守る為に自ら軍に志願した。彼女もその一人だ。
知景と、その友人達も。皆、大切なものを守りたくて立ち上がったのだ。ただ――守りたかっただけだ。


年を重ねても一向に子供っぽさの抜け切らない祖母は常々孫であるにその言葉を言い聞かせていた。
『私は戦争なんて知らないけどね、それをして最後にしっぺ返しを食らうのは紛れも無い私達なんだよ』、と。
祖母は若い頃に家族を亡くしたらしい。その詳細は話題に出すといつも悲しげに微笑むので聞けなかった。

祖母は優しい人だった。常に笑顔を絶やさない人だ。性格は筋金入りの頑固者で、屈折した思考の持ち主。
言ってしまえば性格破綻者。だけど、誰よりもを愛しんでくれた存在だと胸を張って言うことが出来る。
祖母、知景は人間を根底から否定していた。だが、それを除く生物と自然をこよなく愛した。そんな人。
そんな祖母は3年前に起こった『妃谷(ひだに)暗殺未遂事件』と呼ばれる事件に巻き込まれあっけなく命を落とした。

暗殺を目論まれたのは妃谷綺羅という当時18歳の大学生だった。学生にも関わらず暗殺されかけたのだ。
彼が他者と異なる部分を挙げるとするならそれは彼の並外れた技術力と膨大な知識の量だろう。それだけ。
たったそれだけで18歳の青年が命を狙われる。他国に比べて平和であった国は今はそんな風になった。

滑稽な話だ。我が子の様に可愛がっていた彼を庇った祖母は功労者として賞賛された。当然のことなのに。
巫山戯けた話だ。祖母は有名になろうと綺羅を庇ったわけではない。ただ、自分の孫を庇おうとしただけだ。
それを偉業だと褒めるのはおかしな話。これを偽善と呼ぶならばそれもまた仕方が無いとは思うけれども。





― 8月14日


<・・・明日、出撃なんだって?>

通信機の向こう側で幼馴染の妃谷綺羅が浮かない顔色で尋ねた。は肩を竦めて苦笑を浮かべて頷く。
争いごとの嫌いな幼馴染のことだ。明日出撃する幼馴染の事が心配でならないのだろう。心配性だと思う。

「うん。でも、大丈夫だよ。本土には上がらせない・・・絶対に」

そんな綺羅に軍で使う堅い口調から戻して、モニター越しに微笑んで告げる。本来なら直接会って話がしたい。
だがそれは互いの立場上許されない。通信しつつ、大学から出された大量の課題をこなしているのだろう。
時折、キーを叩く音が聞こえてくる。もしかして、仕事の方なのだろうか。考え始めると想像が止まなくなる。

そして、

――会いたい気持ちが募っていく。


綺羅。―妃谷綺羅は『妃谷暗殺未遂事件』で狙われた張本人。彼は今、帝国大学工学部情報科の4回生。
同時に、軍事武器製造最高責任者というもうひとつの顔を持つ。彼が普通であるのを時勢は許さなかった。
技術と並外れた頭脳は現在の科学者でさえ目を見張る。故に普通ならば考えられない役職に就かされた。

知景と妃谷綺羅は幼馴染であると同時に恋人同士である。幼い頃に事故で親を亡くした綺羅と
そんな二人にとって親というのはの祖母であるだった。誰よりも自分たちを愛しみ育んでくれた人。
平和主義者である綺羅はが軍属の身であることが気に入らないらしい。そういえば祖母も言っていた。

綺羅は亜麻色の髪に菫色の眸と、倭人には珍しい色の持ち主だ。華奢な身体はとても戦闘には向かない。
まあ実際、綺羅自身も争いも好まない優しい心の持ち主だから丁度良いと思う。戦う姿なんて見たくない。


<そんなのどうでも良いよ!が無事じゃないければ意味ないじゃないか>

だが、返ってきた言葉は予想外に真剣なもの。その言葉には何を言うんだと苦笑を浮かべて見遣った。
「・・・言葉を選べ」どこで監視されてるかも分からないのに無防備な発言。は咎める様に言葉を紡いだ。

「仮にも最高責任者の言葉じゃないでしょう?。上に聞かれたら大目玉食らうよ」

厳しい表情でこちらを睨む綺羅に苦笑交じりに言葉を続けた。本当に綺羅はしっかりしてるようで抜けてる。
仮にも今は軍属の身だ。自分と立場は違い高い地位を持っているとはいえ、不穏な発言は控えるべきだ。
その立場をまだ理解していないというか、弁えていないというか。見ていて危なっかしさが残るから心配だ。



8月15日。明日、倭帝国軍の出撃が決まっていた。本土に他国からの空襲があるという情報が入っていた。
とはいえ、の属する[倭帝国軍 第六陸上機動隊]は白兵戦を主としており空からの奇襲は関係が無い。
それに今の航空機動隊ならば倭帝国本土に上がらせることは無い。万が一に備えての戦闘配備だそうだ。

それにしても皮肉な話があったものは。嘗て終戦を知らせたその日に本土をめぐる激戦が起こるなんて話。
ありえない。こんな話が祖母の耳に入ろうものなら、小馬鹿にし平然と罵りの言葉を紡いでくれる事だろう。
想像が付くのだから笑えない。祖母が軍事関連を拒絶するのは病的だった。軍に入る頃も反対を受けたものだ。


「・・・皮肉過ぎ。ばあちゃんが聞いたらなんて言うか・・・」

途中まで言葉にして止めた。祖母の反応が目に浮かぶようで思わず苦笑が浮かぶ。祖母なら何と言うか。
あの人のことだ、想像すると何と無く当たっているような気がして考えるのを止めた。何とも居た堪れない。

<ばあ?あの人なら迷わず「人間って本当に愚かな生き物ね。学習能力なんてあれは口先だけよ」。
・・・とか何とか言って嘲笑浮かべてそうだよね>

祖母の口真似をしてケラケラと笑う綺羅。「それリアルに想像つくから止めてよ」とも苦笑いを浮かべる。
何と無く祖母の高笑いが聞こえた気がして思わず溜息が漏れた。自分達の性格構成に大いに影響してる。
モニターの向こうで綺羅も似たような事を想像したらしく、げっそりとした顔で「うわっ」とぼやくのが聞こえた。

故人に対して失礼な態度かも知れないが、これはと綺羅の祖母に対するコミュニケーションの一環だ。
祖母も祖母で相当屈折した愛を二人に注いでいたからお相子。それに、何だかんだで祖母を尊敬していた。
知景が居たからこそ、今のと綺羅が居る。祖母は一人だった。だが精神的にとても強い人だった。


<・・・でも、冗談抜きにしてちゃんと戻って来てよ。僕、戦争が終わってもが居ないと意味無いんだから。>

その言葉に「必ず帰る」と約束出来ないのは口惜しいが定めだ。軍人である以上、絶対の保障は出来ない。
御国の為、否、護るべきものの為に命を懸けるのが軍人。だからこそ、引ける瞬間と引けない瞬間がある。
もしもその瞬間が訪れた時、どちらの判断が勝るかは訪れて見ないと分からない。だから、約束出来ない。

「分かってるよ。私の帰る場所は此処だから。・・・絶対に帰る。だから綺羅は待ってて」

と、嘘でも綺羅を安心させようと微笑んだ。その言葉に綺羅が微かに表情を曇らせた事を冴架は知らない。
少しずつ歯車の歪んでいく音がした。このとき、表情の機微を察して問い詰めていれば変わっただろうか。


[ 絶対 ] ではないけど  君の隣に帰って見せる

君の隣が 私の帰るべき [ 場所(いえ) ] だと信じているから


だから――



プツン

途絶えた通信機のモニターは通常のPCディスプレイに切り替わり そして ひとつの設計図が表示される


「・・・・・・・・・ごめん。ごめん・・・・・・ね、・・・」

何に対しての謝罪なのか、その図面をぼんやりと眺めながら綺羅が呟く。その瞳には精気が感じられない。
ただ、空虚な色しか映っていない。綺羅の瞳から透明の雫が溢れ、ツゥーと頬を伝いデスクに零れ落ちた。


[V.A.I.S(ヴァイス) ]

その設計図らしきものには そう描かれていた


「もう、これしか無いんだ・・・」

自分に出来るを護る唯一の方法。描いた夢には届かない。だが、その夢を踏み躙ったのは自分自身。
赦されないことだろう。きっと、冴架も許しはしないだろう。それでも、罪を犯してでも護りたいものがあった。

だから・・・


「・・・あいしてる」

きっと、この世界で誰よりも。


だから、今一度罪を犯そう。

たとえ彼女が望まなくとも、この身が滅びようと傍に居られるように。


[V.A.I.S]――Violent Anthology Idea Spell

多彩な力と理想的な言葉を併せ持つ電子頭脳。AI。



――純白の夢は漆黒へと染まり 想いは紅に染まり永遠に飛散する




この手が届けば君を止められるのに

2010年4月 脱稿