「にしても、本当に陸海空と全軍出撃命令が下るとはね」 「国はこの一手で決めるつもりなんでしょ?」

作戦結構間近が迫る中、呑気にお茶を飲みながら言葉を交わすのはエバ・マクスウェルと紫音寺である。
二人はにとって悪友と妹的存在である。群という殺伐とした組織の中では数少ない心を許せる存在だ。

「・・・決めるといって失敗したらどう責任取るつもりなのだろうな、国は」

と、せせら笑うように言葉を返せば、は驚いたように振り返り、エバは一瞬きょとんとした顔を見せる。
だが、すぐに「勘弁しろよ」と冗談交じりに肩を竦めて笑ってみせた。まだ始まっても無いのに縁起が悪い。

「気持ちは分からんでもないが、口は慎んだほうが良い。・・・どこで狸が寝入ってるか分からないからな」

そう言い、宥めるようにエバが言葉を紡いだ。「・・・お前も上の部類に入るだろうが」と冷ややかに切り返す。
「俺は特別なの」と、妙に可愛い子ぶった口調で言葉を切り返すが、正直おっさんがやってもキモイだけだ。
立場上、上官に当たるが、この男だけは天地がひっくり返っても絶対に上官と認めたくないと切実に思った。


背中まで赤茶色の髪を束ねた翡翠色の瞳をした少女の名は紫音寺。こう見えて二十歳を過ぎている。
軍に入る前に通っていた倭帝国短期大学時代の後輩でもあった。第8航空機動隊に所属。階級は少尉だ。
金髪にブルーの瞳と、明らかに異国人であるのが分かる男の名はエバ・マクスウェル。容姿だけは端整だ。
と並ぶ童顔である為、20代半ばに間違われがちだが、実年齢は35歳で結婚はもちろん子供まで居る。

にも関わらず、に手を出すこの男は相当の女好き。これで第1海上機動隊を束ねる大佐だから驚きだ。
一応、部下から尊敬されているようだが、からすればお笑い草である。あんな上官がいてなるものか。
冴架にとって、尊敬に値するのは、直属の上官に当たるエリーザ・ジュール中将だけである。心酔していた。
エリーザ・ジュールは飛び出た秀才だった。ずば抜けた才を持つエリート中のエリート。憧れて軍に入った。

もとより、彼の指揮する第6陸上機動隊はエリートが揃っている。しかし、生憎、出撃回数はあまり多くない。
出来の良い者を徒に死なせない為か、あまり前線に出されることが無い。が、今回の本土上陸戦は別だ。
間違いなく、第6陸上機動隊は最初に最前線で動くこととなるだろう。だから、綺羅が酷く心配していたのだ。
しかし、恐怖はない。不利になったとして、それを切り抜けるだけの実力は保持しているつもりなのだから。



「時間・・・だな」

時計の針が丁度ひとつに重なった瞬間、視線だけをそちらにちらっと向ける。そして、エバが小さく呟いた。
その言葉に僅かにの表情が強張った。規模の大きさに萎縮しているのだろう。頭をくしゃりと撫でる。


――護るための戦いが始まる。





「・・・行くぞ。遅刻して叱られるなんて話にならないからな」 「え?あ、ちょっ、冴架先輩まってくださいよっ!」

無言での頭を撫でたが不意に立ち上がる。そして、壁に掛けられていた紺色の軍服を手に取る。
それを呼び止めようとが慌てて言葉を発した。その言葉に足を止め、「・・・何?」と、を振り返った。
発せられたその声は、出撃前だからか、少しだけ鋭さを孕んでいた。だが、即座にいつもの空気を取り繕う。

が、

「カリカリするなって。美人が台無し」

不意打ちで額にでこピンを喰らった。しかもそれが思っていたよりも衝撃がありはその相手を睨んだ。
だが相手、エバは案の定、「ほれ、肩の力も抜けただろ?」と笑って見せる。は無言で拳を握り締めた。

「ちょ、冗談!ストップ!マジになんなって!!」 「黙れ。前々から絞めておく必要があると思っていた」

丁度良い。そう言って微笑んで見せたの目は驚くほどマジだった。流石に拙いと感じて後ずさるエバ。
が、それに合わせても距離を縮めるのだから二人の距離は変わらない。出撃前にして和やか光景だ。
そんな光景を見ていたが不意に笑い声をあげた。どんな時も自分のペースで事を進める人達なのだ。



「・・・私、馬鹿みたいです。柄にも無く緊張してました」

ははっと小さく笑いが言った。その言葉にエバとは顔を見合す。そして、二人同時に小さく笑った。
そんな二人に自分は憧れ、軍を続けてきた。ずっとその背中を追い続けたいと思っていた。そして、いつか。
肩を並べられるようになりたいと願って。この上官二人はとても優しい。だから、傍に居てとても温かかった。

「死なないでくださいね。先輩も、エバも」
「そりゃ勿論」 「当たり前だ」

の視界に映るのは緊張感の足らない笑みを浮かべるエバと柔和に微笑で言葉を紡ぐの姿だった。
の心配故に発した縁起でもない言葉に二人はあっさりと言葉を返す。当たり前だ。まだ終わらせない。

「忘れたか?約束」

その言葉を一蹴するように口元に小さな笑みを浮かべて冴架が言う。「まさか」と揃った返事が返って来た。
それは親しくなってから三人の間で暗黙の了解となっていた。そして、どんな時でも必ず果して来た約束だ。


[ 死なない。生きて、この場所に帰る ]

言葉にせずとも3人の目が確かにそれを物語る。


まだ失くすつもりは無い。だから、この場所でまた会おう。誰一人として欠ける事無く、此処で共に笑い合う。
たとえ国の狗に成り下がろうと、軍属の身として命を散らす立場にあろうとも。それでも、またここで一緒に。
まるで子供染みた約束だと思った。だけど、いつ枯れるとも知れぬこの命を潤わすには十分な約束だった。



「・・・さぁて、行きますか。流石に指揮官が遅れたら拙いからね」 「さっさと行け。馬鹿者」

何とも言い難いその雰囲気に場を和ませるようにエバが言葉を紡ぐ。間髪入れず冴架がそれに突っ込む。
「あ、ちょっとそれ酷くない?」。のあんまりな言葉にエバが冗談めかして反論するが、「黙れ」と一蹴。
この二人は仲が良いのか悪いのか分からない。兎も角、言葉の応酬は見ていて飽きないとは思った。

「ほら、エバもじゃれてないで早く行かないと・・・本当に遅れるよ?」

このまま時間が永遠に止まれば良いのに。なんて夢みたいな事を考えながら、二人を宥めるように言った。
その言葉に「えーっ!」なんて子供染みた反応を見せるエバ。だが、時計を見ると流石に拙かったのだろう。
溜息ひとつ立ち上がる。そして、部屋を出る前にを手招いて一度抱きすくめた。「え、ちょ、エバ!?」。

突然の行動に狼狽する。口を開きかけただったが、髪の間から垣間見たエバの表情に閉ざした。
愛しむようにを抱きすくめる。きっと、エバが独身だったら、二人の関係を素直に祝福する事ができた。
エバがに向ける感情も、がエバを慕う気持ちも本物だと知っている。ずっと、傍らで見てきたのだ。

「・・・・・・」

別れを惜しむ二人の姿から視線を外し、は溜息ひとつ、目を伏せた。脳裏を過ぎったのは綺羅の姿だ。
自分は素直で無いから、あの二人のように別れを惜しむ事は出来ない。だが、会いたいと思ってしまった。
戦争が終わればまた会える。だけど、何とも言えない胸のざわめきが治まらないのだ。いやな予感がする。


「・・・死ぬなよ、」 「・・・分かってるよ」

二人の距離が離れたと思いきや、いつになる真剣な表情でエバが言葉を紡いだ。その言葉にも頷く。
そして、に向き直ったエバが「お前もな。・・・絶対に死ぬな」相変わらず真剣に言い放つ。初めてだった。

「・・・エバこそ、ヘマするなよ」

誰もが今回の出撃に嫌な予感を覚えていたのかも知れない。ありえないことだが、もしかしての事を思って。
互いに目が合うと逸らす事はせず、見詰め合う。言葉なんて安易なもので伝え切れない事が山ほどあった。

「・・・あぁ、じゃあな」

互いの健勝を祈り小さく敬礼を送る。それにエバも敬礼を返し小さく笑った。その背中は部屋を出て行った。
残されたは不安げな表情でその背中を見送る。はその頭をそっと抱き寄せた。「・・・・・・大丈夫だ」。
何とも安易な言葉を残したと思う。だけど、不安や迷いは戦地において死を呼び招くものだ。言い聞かせた。

「死ぬな。生きろよ、」 「はい。先輩も健闘を祈ります」

先ほど同様、互いに敬礼で言葉を紡ぐ。顔を見合わせた途端、噴出すようにして二人共笑った。らしくない。
不安そうな顔で出撃するより、やはりこっちのが落ち着く。こうやって笑い合えるから。いつも生きて帰った。
そして、それは今日の出撃も同じ。帰って来て、また、3人で笑い合うのだから。そう約束したのだ。だから。


生きて 帰る――

それが最期だなんて 冗談でも思わなかった




ここは最後の帰る場所だから

2010年4月 脱稿