「・・・何だ」

扉の前の気配に誰とは分かっていたが、エリーザ・ジュールは敢えて問うた。気を引き締め直したらしい。
相変わらず自分の前では初々しい反応を見せる自分の部下にエリーザは口元に小さな笑みを浮かべる。

「はい!第6陸上機動隊所属 知景大尉であります」 「入れ」

外から聞こえて来た改まった声に笑いを噛み殺しエリーザは迎え入れた。間も無く出撃命令が下るだろう。
だからこそ、その前に一度話しておく必要があると思ったのだ。部屋に入って来たに座るように促す。

本当にあの人に似ていると思った。孫なのだから似ていると言えば当たり前。だが、纏う空気は凛々しい。
それはおそらく、自分が軍人としてを育てた責なのだろう。あの頃のあどけなさは遠い残像になった。
それでも、やはりのエリーザに向ける尊敬の眼差しは変わっていない。まるで尾を振る子犬のようだ。


「あ、あの・・・エリーザ中将。何用でしたでしょうか?」

久し振りに二人きりになったのだから昔のように気楽に話せば良いものを。畏まったようにが口を開く。
そんなにエリーザは小さく息吐き、「・・・間も無く出撃だな」と告げた。が神妙な顔で頷いて見せる。


エリーザとて伊達に若くして中将になったわけではない。今回の戦いが苦戦するのは目に見えて分かった。
だが、それでも本土を巡る戦いである以上、負けるわけにはいかない。敗戦国は全て奪われるのだ。全て。
戦争の悲惨さをあの人に語られた時、思った。もう2度とこの国をそんな目に合わせまいと。そう誓ったのだ。

――それが全ての始まりだった。

初めてあの人に会ったのは倭帝国になって間もない頃だ。留学してきた自分を驚くほど面倒を見てくれた。
出会った時、既にあの人は一人だった。誰の子とも分からぬ自分の孫娘を愛しんで静かに暮らしていたのだ。
彼女は多くを望もうとしなかった。今ある平穏が続けば、大切な者が笑っていればそれで良いと笑ったのだ。

多くを望むのは罪だと彼女は言った。今あるものを大切に出来るならそれが幸いなのだと寂しげに笑った。
ただ、そんな顔をして欲しくなかった。そんな子供染みた理由からエリーザは軍に属する道を選んだのだ。
あの人と、あの人の大事なものが笑って暮らせる毎日を築こうと思った。思えば、それは初恋に似ていた。



。お前は次の出撃をどう考える?」

愛用のカップで珈琲を飲みながらエリーザは静かに問うた。は言葉に詰る。どうと言われると困った。
次の戦いが倭帝国や自分たちにとって重要である事は分かる。だが、どうかと言われると何とも言えない。

「・・・連合がこの国を奪うというならば、それはさせません。此処は我らの国です」

言葉に困ったは小さく息を吐き、その言葉を紡いだ。奪わせない、奪わせたく無いのだと彼女は言う。
当然だ。自分の国を誰かに蹂躙されるなんて許せないだろう。自身の国にはそれなりの誇りは持っている。
だからこそ次の戦いは負けられないとは言うのだ。「・・・そうか」。エリーザは口元を緩めて小さく呟いた。

「確かに国は大切だ。・・・が、無理はするな」

くしゃりとの髪を撫でる。その行動には驚きエリーザを見上げた。こんな風な接し方は幼少以来だ。
とても優しい声色で紡がれたその言葉には小さく頷く。なぜか逆らってはいけないような気がしたから。
だが、戦場に出ればきっとそんな事を考える余裕は無くなるのだろう。戦う事と護る事に必死になるからだ。



「お前は何があっても生きろ・・・

――それはまるで呪文のように今も頭に残っている。





8月16日 正午。

本土を巡る白兵戦は奮戦も虚しく、数的にも武器戦力的にも倭帝国軍側の圧倒的不利を強いられていた。
空軍部隊は間も無く特攻に望むという報せが届いた。海軍部隊も第1海上機動部隊を残しほぼ全滅と苦戦。
彼の第1海上機動部隊が破れるのも時間の問題らしい。苦戦を強いられているのは本土も同様であった。


「数が多過ぎます!捌ききれません!!」

相手側の容赦ない猛攻に第6陸上機動隊の陣形が崩れ始めた。兵の悲鳴と泣き言に等しい声が響いた。
銃声と硝煙が舞う中、怒声に近い指示が飛ぶ。そして命を奪われた兵の断末魔の悲鳴が幾度も聞こえた。

「防衛線を突破させるな!居る者だけで陣形を整え直せっ!!」

エリーザは小さく舌打ち、士気を失いつつある自軍の兵に叱咤するように指示を出した。明らかな不利だ。
兵には叱咤したものの、自身も歯痒い思いをしていた。連合の新兵器の威力は凄まじかった。敵わない。
連合は軍事国家として成長した倭帝国を本気で潰すつもりだ。が、倭帝国を占領させるわけにはいかない。


(・・・どう考えても人が足らなさ過ぎる・・・っ)

持ち堪えられるのは時間の問題かも知れない

着実に連合の兵の命を奪いながら防衛線を死守するでも現在の不利は理解できた。気を抜けば死ぬ。
相手側の武器の威力は凄まじい。倭帝国軍の兵を薙ぎ払うその兵器を睨むように見上げた。まるで死神。


「っ前線は第一小部隊が護る!何人たりとも入れさせるな!此処は奴らの国じゃない、私達の国だっ!!」

弱音を吐く同僚や部下達を一括し、前に躍り出る。大尉という立場で中将の許可も仰がずに指示を出した。
明らかな違反行為は咎められる事だろう。それでも、今の彼らには納得させるべき言葉が必要だったのだ。
弱音になっている彼らを奮い立たせるだけの言葉が。現に、その言葉で士気を取り戻したのも事実である。

――これは、正しい判断だ。


目の前にいる死神は幸いまだ一体だ。後どれだけ居るのかや、どれほどの力を持つのかは分からない。
されど、今、兵器を叩いて兵たちの士気を完全に取り戻させなければ、考えたくは無いが―おそらく負ける。
負けられないのだ。大切なものが自分たちの後ろにあるというのに。背中の後ろには譲れないものがある。

だから、負けられない。護ると決めたのだ。一度目はエリーザ中将に出会った時。二度目は祖母の死の時。
そして、三度目は――綺羅や仲間。今在る居場所を失わないように。護ろうと誓ったのだ。だから死ねない。
負けたくない。この戦いで負けるということは同時にたくさんのものを失うことになる。そんなの絶対に嫌だ。

戦争で敗れた国の末路は何度も見てきた。戦争に携わった者、それを統率としていた者の末路も知ってる。
だからこそ、負けられない。自分達は自分の居場所を護るために戦っているだけ。それ以外の何でも無い。
護ろうとして何が悪い。奪われたくないだけ。だから我武者羅に戦い続けてる。勝ち続けなければならない。

 

「・・・失せろ、ばけもの」

黒塗りの機神の前に躍り出て、スゥと目を細める。巨大なそれにとってなど虫けらのようなものだろう。
だから何だと言うのだ。腰に掛けてある手榴弾を取り出す。攻撃をかわしながら線を抜いてそれを投げた。

それで効くとは思わないが、牽制程度にはなる。「下がれ」と指示を出して自身も物陰に体を滑り込ませた。
黒い死神は一瞬よろめいた。動きの鈍った機神に背後からエリーザの指示にて容赦なく一斉攻撃が放たれる。
誰もが生きようと必死だった。国を護ろうと、大切なものを護らなければと。浮かぶのは護りたい者達の顔。


生きるんだ。

勝つんだ、勝って――。


 そ れ で ・ ・ ・


(・・・あの子の隣に帰るんだ・・・)

一瞬の油断がいけなかったのかも知れない



「っ!!」

エリーザの声が聞こえた。同時に、数の増えた黒い死神の攻撃が肩を掠め、貫くような鋭い痛みが走った。
肩を掴んで身を屈める。一瞬の隙を突いて反撃体制に入ろうと構えるが、死神の動きは先ほどよりも早い。
回り込まれたと脳が判断した瞬間、ものすごい力で宙に吹き飛ばされた。そこからの記憶は覚えていない。




だれかが笑った



負けられない。


負けたら、全部終わりなんだ。

その正しさも、想いも、全部閉ざされる――



(・・・ごめん、なさい)




死んだらどこにも手が届かない

2010年4月 脱稿