「目が覚めたかね?」
と小さく呻いてはゆるりと目を開けた。最初に視界に映ったのは金髪の長い髪と不気味な仮面の姿だ。
朦朧とする意識の中でそれを確認してから数秒。「!」。途端に意識は覚醒しその姿に警鐘が鳴り響いた。
「っ・・・私から離れ・・・っ・・・ろ・・・」
状況判断が遅れたが、すでに軍人として身に染み付いてしまった防衛本能が男から距離を取ろうと動いた。
だが、肩に鈍い痛みが走り身動きが取れず小さく呻くしか出来ない。視線を周囲に向け状況把握を目論む。
白いベッドが4つと、白い薬品棚にデスクがひとつ。室内にいる人数は医者と緑の軍服を纏う者が数人程。
そして、目の前に佇む怪しげな男は白い軍服を纏っている。だが、こんな軍服を纏う国を冴架は知らない。
自分は軍服を着ていない。治療の為か隔離の為か、視線を動かすと壁に掛けられているのが目に映った。
コツ
覚えのある冷たい感触が後頭部に当たった
「此処から逃げられると思うな」
次いで冷淡な声が頭上から降ってくる。とて軍人の端くれ。この人数の中で逃げられるとは思っていない。
それも武器が無いとなれば尚更だ。自らの身を危険に晒すような真似はしない。屈辱的ではあるけれども。
「安心しろ。武器を持たずして逃走を目論むほど愚かではない」
銃を突き付ける緑服に金髪の男の方に視線を向け、頭の横まで両手を上げた「降参」ポーズで言葉を紡ぐ。
が、相手を見据えるその瞳は明らかに挑発的な色を滲ませていた。逃げる気は無いが負けは認めてない。
「・・・ンのっ!」
その反抗的な態度に腹を立てたのか、銃を突き付けた男は舌打ちひとつ腕を振り上げた。捕虜暴行罪だ。
本来なら軍事裁判もの。冷静な頭ではその様子を見ていた。自分の立場は一応弁えているつもりだ。
とはいえ、捕虜に暴行を加えてはならないなんて口先だけの違反事項だ。実際の捕虜の扱いはごみ以下。
そんな風に扱われた他国の捕虜をは幾度も見てきた。それが自分の立場に入れ替わっただけのこと。
口先だけの規則なのだから無意味なのは理解している。だが、自分がその立場になるとは思わなかった。
「やめとけ、オロール。クルーゼ隊長の前だぞ?それに、捕虜への暴行は禁止されてる」
随分と紳士的な軍人が居たものだ。銃を突き付けた男はオロールというらしい。宥めるように言葉を紡ぐ。
その人物の顔を確かめるようにさりげなくは視線を向けた。緑服に金髪。ここは金髪が多いと思った。
容姿で言えば優男で軍人らしくない。だが、隊長と呼ばれる人物の傍に居れるなら相応の立場なのだろう。
「・・・っくそ!」
隊長の居る手前ふざけるなとは言えないのか、オロールが苛立ったように腕を下ろし堪え切れず舌打った。
そして、射殺さんばかりの勢いでを睨み据えた。辛抱の足らない男だと冴架は考える。感情的過ぎだ。
だが、それでも直ぐ傍に隊長と呼ばれた仮面の男が居たからか、それ以上の行動は起こそうとしなかった。
「さて、2,3質問させて貰ってもかまわんかね?」
口元に不穏な笑みを浮かべクルーゼと名乗る男はに視線を向けて言葉を紡いだ。無言で冴架は頷く。
だが、後に続いた言葉に周囲は愕然とする。「差障りの質問ならな。だが、生憎機密事項は持っていない」。
残念だったな、と小馬鹿にしたの態度にオロールの身体が再び過敏に反応して揺れた。小さく笑った。
「オロール」
今度こそ食ってかかるかと思いきや、今度はクルーゼから咎められた所為か、苛立ったように肩を引いた。
そして、「さて、続きだが・・・」と再びに視線を向けた。どうもこの男は苦手だ。どっかの誰かを思い出す。
「たいした事を聞くわけではない。君が何者であるのか、何処から侵入したのか確認したいだけだ」
まるで冴架に言い聞かせるような口振り。それが妙にエバを思い出して苛立ちが募った。もう居ないのに。
似た雰囲気を持つ相手に会っただけで胸がざわつくなんて馬鹿げている。内心、自嘲の笑みが浮かんだ。
あの報せを聞いた限り、智春やエバはもう居ない。必ず戻ろうと約束した戦友達はもうこの世に居ないのだ。
胸を締め付ける鈍い痛みと同時に、は自身の根底で渦巻く『憎悪』の念に気付いた。燻り続けている。
本来ならまだ国と大切なものを護るのに戦場でその身を削り戦っている筈だった。そうでなければならない。
隊長や、仲間と共にその全てを懸けて戦い続けている筈だった。なのに、どうして、今自分は、此処に居る。
「何者・・・だと?白々しいことを言うな。貴様らが私を捕らえ、此処に連れて来たのではないのか?」
怒りに身を任せるにはまだ早い。昂る感情を押し殺して言葉を返す。が、無意識に勢い付いていたらしい。
肩の傷が開いたのか、鋭く痛みが走った。肩を抑えて僅かに眉を顰める。思ったよりも傷は深かったようだ。
「こいつ何を・・・」
の言葉が理解の域を逸しているとオロールは愕然としている。まるで話が噛み合わないこの違和感。
そして、先ほどまで余裕ぶった挑発的な態度は消え、ただ、憎悪を孕んだ強い色をその目に滾らせていた。
先に奪ったのは連合側。誓いを破り核を打ち込んだ。平穏を打ち壊して戦わざる得ない状況に持ち込んだ。
自分達が何をしたと言うんだ。嘗て戦争に負けてから平和を象徴としてずっと平穏に暮らしていた。なのに。
勝手に攻撃を仕掛けて、平和を奪った。あまつさえ、仲間達の家族を死に至らしめ、居場所を奪っていった。
何の暇潰しかは知らない。されど、あまつさえ、戦場で散る筈だった自分を捕虜として捕らえた。屈辱的だ。
あの戦いで生きる道は閉ざされた。なのに、誇りを護り死ぬことすら許されない。自分は失くしてばかりだ。
敗国は全てを奪われる。その尊厳も、大切なもの、国も、全て。抗うことも許されずただ奪われていくだけ。
――私たちがなにをしたというんだ。
「お前達が・・・おまえ達が私たちの平穏を奪ったクセにっ!!」
枷が外れたように激情が込み上げ溢れた。は軍人としての冷静さを欠いたまま一息に怒鳴りつけた。
その言葉にクルーゼを除くその部屋に居た全員が目を丸くした。が、怒りを覚えたのは中でもミゲルだけだ。
(・・・誰が、誰を先に・・・だって・・・?)
言葉よりも先に動いていた
「・・・っふざけるな!お前らナチュラルが先にユニウスセブンに核を撃ち込んだんだろがっ!?」
気が付けば、クルーゼが居るのも忘れてミゲルはの胸倉を掴みベッドに押し付けて怒鳴りつけていた。
ミゲルからすればは憎むべきナチュラルでしかない。なのに、何を抜けぬけと言い出すのかと思った。
先に奪ったのはコーディネーターじゃない。核を撃ち込み大量虐殺したのはナチュラルの方。だというのに。
「何を抜けぬけと・・・っ最初に撃ち込んだのはお前達の方だ!なら最初から作らなければ良かったんだっ」
ミゲルの怒号に近い声に怯む事無く真正面からは怒鳴り返した。二人の殺気だけが交錯して覆った。
狭い医務室の中に充満して衝突を繰り返す。周囲は二人の怒鳴り合いに圧倒され見ているしかできない。
冴架からすれば、先に攻めて来たのは連合側だった。自国から核を用いて脅迫同然で武力を奪い去った。
そして、数十年の時を経てまるで掌を返すように憲法を改正させ再び武器を取らせた。戦う道を選ばせた。
あまつさえ自分達の尻拭いを押し付けるような形で全てを帝国に押し付けた。二度も核を用いて来たのだ。
異国の者は皆、連合に所属している。中には例外も居た。しかし、見た限り目の前の連中は連合側の人間。
そんな連中を目の当たりにし平然としていられるほどはできた人間ではない。あまりにも多く奪われた。
「ミゲル。・・・彼女は何か誤解しているようだ」
更に絞め上げんばかりに口を開こうとしたミゲルをクルーゼが呼び止める。そして、落ち着いた様子で言う。
その言葉に平静を取り戻したのか、ミゲルは渋々といった様子で距離を取る。が、互いに殺気は止まない。
「・・・誤解、だと?」 「まず、君の言う『お前達』が私達には分からないのでね」
何を言うのかと、は鋭くクルーゼを見据えた。「それに、核を撃ち込んだ覚えも無い」更に言葉が続く。
その言葉には「まさか」と小さく肩を揺らす。撃ち込んで無いなんて有り得ない。あれは歴史的事件だ。
だが、クルーゼの言葉に偽りは無い。見たところナチュラルである目の前の少女は軍人であるのは分かる。
ナチュラルとコーディネーターが争そっているのは事実だが核を用いたのはナチュラル側からの一度だけ。
平静を完全に失っている彼女を宥める為にその言葉を紡いだ。現にその一言で平静を取り戻したようだ。
が、こちらを見上げたその深紅の瞳は驚くほど不安げでまるで置き去りにされた子犬のような目をしていた。
「ば、馬鹿なことを・・・っ・・・なら、なぜ・・・何故、私が・・・」
此処に存在するんだ。言葉に出来なかった。平静を取り戻すと同時に今度は動揺した。なぜ噛み合わない。
まだ連合側が捕虜として捕らえたならば理解できる。処刑されて終わるのが自分の定めだと納得は出来た。
今までの経験、否、軍人としての直感であの時、自分は死んだと思った。判断ミスで敵に背後を取らせた。
そして自らの身を危険に晒した。少なくとも、あの状況で生きていられるとは思わなかった。思えなかった。
自分はあの瞬間、死んだのだ。エリーザ中将が名を呼んだのも、空に弾き飛ばされたことも覚えている。
「それが分からないから聞いてんだ。アンタ突然、ブリーフィングルームに現れたんだからな」
先ほどまで沈黙を通していたミゲルだったが、彼女のあまりの狼狽振りに呆れたように溜息を溢し言った。
が小さく「馬鹿な」と呟く声が聞こえた。信じられない事が多過ぎて頭がショートしそうな気さえする。
「ミゲルの言った通り、君は我々の前に突然現れた。だから、私達も君の処遇に関して困っていてね」
クルーゼは困ったような口振りで肩を竦めて言葉を紡ぐ。が、何と無く直感だが彼は困っていない気がした。
口先だけというべきか、根本には余裕すら感じさせる。が、それに気付けるほどの余裕が冴架に無かった。
「・・・何を困る必要が?理由はどうあれ、不法侵入ならば、捕らえて捕虜にするのが道理のはずだ」
少しだけ軍人としての自分を取り戻したのか、小さく息を吸い込みははっきりと言葉を紡いで見遣った。
それが至極当たり前のことでありそれ以外の選択肢はおかしい。なのに、何故呑気に話しているのだろう。
「それもそうなのだがね。まず、君について色々聞く必要がある」
さも当然の様にクルーゼはきっぱりと言葉を切り返した。だが、その言葉にははっきりと顔を顰めた。
最初会ったときから思っていたが、この男は好きではない。纏う雰囲気も話し方もどこかエバに似ている。
もう居ない友と重ねてしまうのは愚かだろうか。会いたいと思った。あの場所に帰りたいと願ってしまった。
愚かだと分かっている。だが、戦いが終わった今、願うのはそれだけ。もう何一つこの手には無いのだから。
きっとあの戦いで負けたのは自国で、全てを失くした。帰る場所などもう存在しない。心が乾いた気がした。
「・・・私に答えられる範囲ならば」
今、状況を打破する為には情報が必要である。ならば仕方がないとは小さく息を吐き言葉を紡いだ。
それ以外は答えないとはっきり釘を刺した上で。ぼんやりと部屋の白い壁に掛かった軍服に視線を向けた。
「君の名前と所属を教えてもらおうか」 「倭帝国軍所属・・・「なっ・・・倭帝国だと!?」」
ふむ、善処しよう。と、顎に手を当てて考え込む仕草をしてクルーゼが最初に問うたのはの名だった。
淡々とした口調で言葉を紡いでいたの言葉を遮ってミゲルは信じられないと言った表情で声をあげた。
「・・・ミゲル知ってるのか?」 「馬鹿!お前・・・アカデミーの戦史学で嫌って程聞いただろうが」
「は?そうだったか・・・?」
聞き覚えが無かったのか首を傾げるオロールに対し捲くし立てる様にミゲルが言う。嫌でも忘れられない。
だが、尚もオロールは惚けた返事を返す。その言葉にはミゲルも心底呆れたのか溜息しか出て来なかった。
「ちょっと待て、倭帝国に関する情報が此処にあるのか?」
先ほどまで沈黙を守っていただったが、自国に関する話を聞いて目の色を変えて問い質しにかかった。
情報が少な過ぎる今、彼らを信用するか否かの以前に、現状を把握できるだけの情報が必要だったのだ。
「倭帝国に関しては情報というより、『過去の歴史』として形に残っている」 「・・・どういう・・・こと・・・?」
冴架の抱いた僅かな光を断つ様にクルーゼが言い切った。その言葉には呆然とベッドに座り込んだ。
『過去の歴史』。その言葉が一見して重要性を感じない。が、にはこれ以上に無い波乱を呼ぶものだ。
(・・・帝国が無いだって・・・?そんな馬鹿な・・・・・・否、落ち着け・・・落ち着くんだ)
必死に動揺を押さえ込む様に自身に言い聞かせる
「・・・そんな馬鹿な話が・・・あって堪るか・・・」 「おい・・・っ」
平静を取り繕おうとするが、如何せん動揺が強過ぎて制御仕切れない。それはまるで鬼気迫るものだった。
危うさを感じたミゲルが落ち着けと宥めるようにの肩に手を伸ばす。驚くほど小柄な肩が震えていた。
「・・・ッ・・・我々は・・・っ帝国軍第6陸上機動隊はっ!負ける筈が無い!あの方が居て負けるわけないっ!!」
半ば縋る様な思いではミゲルの腕を咄嗟に掴んで、その深紅の瞳に僅かに涙を溜めて怒鳴り付けた。
その糾弾に似た悲痛な叫びと、悲しげに揺れる瞳に思わず言葉を失った。どれ程大事なものだったのか。
「落ち着・・・「煩い!じゃあ・・・第8航空機動隊は?第1海上機動隊は!?エリーザ中将はどうなった?!」」
そんな彼女を宥めようとミゲルが「落ち着け」と言おうとするが、それすらも遮ってが叫ぶように言った。
もはや平静を保つなんて不可能な話だ。第6陸上機動隊は第2の家だった。軍部にはエバや達が居た。
それだけで十分安らげたし、彼らを守るためならば自分の命が惜しいとは思わなかった。大事だったんだ。
なのに――
「良いから聞け!」
完全に錯乱しているを落ち着かせる様に鋭く一喝した。は動きを止めミゲルの金色の瞳を見た。
受け入れたくない事実。されど、受け入れざる得ない現実。迫り来る得体の知れないそれは恐怖だった。
「・・・8月15日の本土戦で生存者は居ない。事実、その後、倭帝国はアジア共和国の一つになっている」
習った自分の知る限りの知識をに告げた。ミゲルのその言葉に、遂にの身体から力が抜けた。
「う・・・そ・・・っ・・・」。愕然としたの唇から小さく紡がれた言葉。その瞳はもう何も映そうとはしてなかった。
―― もう、帰る場所は存在しない。
分かってたんだ。そんな事実。ただ、認めたくなかった。嘘でも良い。せめて、生きていると思いたかった。
だって、あの場所は。あの人達は自分にとって生きる意味だったから。生存者ゼロなんて認めたくなかった。
「・・・うそ・・・ですよね・・・?・・・隊長・・・エバ・・・・・・・・・」
一筋の雫が頬を伝った。
『お前さ。その歳で大尉にまでなっちまうもんだから結構妬まれてるんだぜ?』
――どこまでもチャラけた悪友の笑み
『酷いですよ!先輩の努力の証を妬むなんて!!』
――いつも真剣で笑顔を向けてくれる後輩の声
『・・・本当は、お前には普通の生活を送って欲しいのだがな』
――ずっと優しく包み込んでくれたエリーザ隊長の温もり
『『『死なない。生きてこの場所に帰る』』』
3人で誓った約束
――もう 届かない
選ぶべきは誇りある死であった筈なのに。
2010年4月 脱稿