「・・・っ・・・此処、は・・・」
自分は随分と眠っていたのだろうか。言葉を紡げば声が酷く掠れていた。ゆるゆると喉に手を当ててみた。
触れた。それが信じられなかった。ありえないことだと思った。否、軍人としてならばあってはならない事だ。
(・・・ど、こ・・・?死んだと・・・思ってたのに・・・)
視線だけ漂わせて 状況把握を試みる
「まだ動かないほうがいいぜ、嬢ちゃん。何せ、全身傷だらけ生きてる方が奇跡的なんだからな」
大好きだった人を思い出させる声でその人物は言った。誰かが居ることに智春は僅かに警戒心を強めた。
「・・・ダ、レ・・・?」その人物をが捉えるよりも先に、その人物は自らの視界の中に飛び込んで来た。
「ムウ・ラ・フラガ。因みに26歳な」
と、ウインク付きでフラガは片手に氷水の入ったコップを持ってにそれを差し出しながら言葉を紡いだ。
なぜそうも呑気で居られるのだろうかとは内心思った。だが、フラガの顔を真正面から見て息を呑んだ。
「・・・・・・エバ・・・?」
気付けば無意識に言葉にしていた。
(・・・似てる・・・・・・違う、"同じ"なんだ・・・)
頭の中で僅かに抱いた希望を振り払った
眼前の人物は顔立ちこそ似ていないが、髪と目の色、そして、声があの人と同じだった。信じられなかった。
自分が最も守りたくて、初めて"愛していた"人と。だけど、あの人はもう居ない。どこにも生きていないのだ。
あの最悪の戦況は自分達、第8航空機動隊にも伝わっていた。海軍の壊滅寸前である報も陸軍の苦戦も。
自分達は軍人だ。あの状況で「生きていられる」と思えるほど馬鹿ではない。常に現実を見据えなければ。
受け入れられない者は容易く命を落とす。あそこはそんな場所。だから案外、仲間の死を受け入れられた。
(・・・それにあたしは・・・)
あの惨々たる光景を思い出して目を閉じた
『もう駄目です!特攻しましょうっ!!』
通信機越しに聞こえた同僚の声。
『早まるな!まだ・・・まだ負けを決したわけではない!!』
兵を宥める隊長の怒声。
あちこちで響く
爆音と雑音
そして――
『・・・い・・・やだ・・・・・・ッ・・・死にたく・・・ない・・・』
入隊したばかりの新米達の最期の声。
『・・・空軍全隊に命ずる・・・我等はこれより、御国を守る為に・・・』
特攻を通告する総隊長の震える声。
――覚悟はしていたんだ。
(・・・っ・・・コレが見納めか・・・)
思わず母国に視線を向けた
「・・・倭帝国の為に」最期に紡いだ嘘の言葉。自分は誰よりも嘘吐き人間だ。本当は国の為なんかじゃない。
本当に守りたいのは国じゃない。いつも傍に居てくれて、大切で優しくて大好きなあの人達を守りたかった。
機体が熱を持ち意識が朦朧とする中で最期に描いたのは一人だけ。瞳を閉じて、貴方だけを想い描いた。
「考え事してるトコ申し訳ないんだけど、喋れる様になった所で幾つか質問しても良いか?」
不意に意識を此方に引き戻された。声の主 フラガにちらりと視線を向け肯定の意味を込めてこくりと頷く。
するとフラガは嬉しそうに笑って、傍にあった三足椅子に腰掛けて口を開いた。尋問って雰囲気じゃない。
「嬢ちゃんの名前聞いてもいい?」 「紫音寺。二十歳ですので嬢ちゃんって年じゃありませんね」
フラガの言葉に苦笑交じりに言葉を返す。相手も予想外だったのか驚いたようだ。とんだ勘違いだと思う。
確かには童顔だから普通に10代と間違われることもしばしばある。それでも、20歳で嬢ちゃんは無い。
掠れていた声はフラガが渡してくれた水入りのコップで喉を潤したからか少し直った。最初よりも話し易い。
「・・・マジ?じゃあ改めて、ちゃんは何者?」
元よりこの問いをする気だったのだろう。陽気に笑うフラガの目は、例えるなら獲物を狙う肉食獣に思えた。
逃す気など毛頭無いのだろう。現状はまだいまいち把握出来てないが、隠すつもりは無い。もう無いのだ。
大好きだったあの場所は存在しない。自分はあの瞬間、確かに死んだ。その後がどうなったかは知らない。
「助けて頂いた手前隠すわけにもいきませんし・・・良いですよ。答えます」
とて伊達に若くして少尉という立場に就いてる訳ではない。逃れようと思えば逃れる事は可能だろう。
だが、それをしようとは思わない。恩を報いるわけではないが、フラガには借りがあった。それに無意味だ。
「答えてくれるわけ?」フラガが伺うように視線を向ける。それに対してへらりと笑ってこくりと頷いて見せた。
「倭帝国軍第8航空機動隊所属、紫音寺少尉であります」
軍人らしいキリッとした物言いで紡ぎ、敬礼をして見せる。が、その表情は柔和でおおよそ軍人らしくない。
本来なら失っていた筈の命を拾われたのだ。それにフラガになら話しても問題ないだろうと何と無く思った。
「・・・は?ちょっ、待て。倭帝国って数世紀前の国だぞっ!?」 「・・・ほんの前まで私、出撃してましたけど。」
たっぷり3分の沈黙を要した後フラガは驚愕の声をあげた。だが、その言葉には怪訝な表情を見せた。
当然だ。先程まで自分は戦闘していたというのに、いきなり「数世紀前」だなんて言われた衝撃的である。
「いや、だから・・・って、まさか時空を・・・・・・?・・・いや、そんな馬鹿な話が・・・」
一人悶々と悩むフラガを尻目には自身を落ち着かせるために目を閉じた。自分はあの時どうだったか。
時空を超えるなんて小説や漫画ではないのだから有り得ない。そんなの非科学的過ぎる。落ち着け自分。
(えっと・・・確か、私はあの時・・・)
平静を保ちながら思考を巡らせる
全航空機動隊に最終通達として特攻命令が下された。覚悟はしていたが、誰もが嘆いたのは覚えている。
それから間も無く、残すところ僅かとなった特攻隊の一人として自身も最期の特攻に望んだ。忘れられない。
あの時の恐怖は今も薄れる事無く鮮明に覚えている。仲間の最期の声。そして、思い出そうとすると――。
「・・・あの、フラガさんについて伺ってもよろしいですか?見たところ、軍人のようですけど・・・」
小刻みに震える手を押さえ込み口を開いた。微笑を取り繕ったつもりだが上手く笑えているか分からない。
いくら軍人といえど、はまだ二十歳を迎えたばかり。自らの命を放棄するなんて容易には出来ない。
「あ、俺?連合軍第七機動艦隊所属の中尉だ」
そんな智春の些細な変化に気付いたのか、安心させるように少女の手を大きな手で包み込んで答えた。
唐突に感じた温もりに驚いたようには顔を上げてフラガの顔を見た。その手はあまりにも温かかった。
「・・・フラ ガ、さん・・・?」
上擦った声が漏れたのは、堪えていた感情が包み込む様に触れた温かいその手により開放されたからだ。
フラガの名を小さく呟き彼の顔を見上げれば、彼は柔らかく微笑んで此方を見ていた。じわりと視界が歪む。
まるで、泣いても良いんだと言われた気がした。包容力なんて物でなく、彼がエバに似ているからでもない。
ただ、全てを受け入れるように彼の体温は心地良くて温かい。肩の荷が一気に下りるような感覚が走った。
「理由なんて言われても分かんないけど、戦に借り出されたんだろ?」
彼の目は何処までも優しく、そして全てを見透かしているように思えた。は逃げる様に視線を泳がす。
気付けばフラガは表情を真剣なものへと変えてを真っ直ぐに見据えていた。心臓が早鐘を打ち始める。
「・・・・・・」
言葉にしようとしてもならなかった。酸素の足らない金魚のように口をパクパクと動かしてフラガを見つめる。
溢れてきたものは山ほどあり、全てが渦を巻き上手く言葉に表せない。この感情が何なのか答えられない。
溢れてきた感情は――
恐怖、怒り、悲哀、焦燥、憎悪、涙、懐旧―その全てが、あの日、あの瞬間消し去らねばならなかったもの。
果されなかった約束。最期に過ぎった大切なひとへの想いすらあの瞬間、踏み躙られた。嘘で塗り固めた。
そうしたのは紛れも無い自分自身だ。苦しくて、悲しくて、辛かった。それが軍人の定めだと分かっていても。
受け入れる事は無理だ。あの瞬間、眼前に迫った死を恐怖と感じてしまった。取り繕う事なんて出来ない。
ずっとあの優しい場所でエバとと三人で笑い合っていたかった。あの時が永遠だと思い込みたかった。
ただ、護りたかっただけなのだ。あそこを。己の心安らげる居場所を。国を護るなんて大義名分に過ぎない。
だけど、護りたかった場所も、もう存在しない。あの戦争の規模と耳に届いた情報を聞く限り可能性は無い。
――もう、帰る場所は無いんだ。
「・・・怖かっただろ。よく頑張ったな・・・・・・」
が言わんとしている事を察したようにフラガ言葉を紡ぎ彼女の頭を優しく撫でる。まるでエバみたいだ。
泣きそうになるのを堪えてはフラガを見つめた。フラガに重なって見えたのは大好きなあの人の笑顔。
『・・・死ぬなよ、』。そういって抱きすくめてくれた人はもう居ない。もう二度と触れる事は叶わないのだ。
『死ぬな。生きろよ、』。そういって頭を撫でてくれた人はもう居ない。もうあの場所には戻れないのだ。
それでも、生きることを諦められないのは最期に交わした友との約束があるから。「生きろ」と言われたから。
だから、惨めでも自分は生きている。会いたい。考えると止まらない。あそこが良い。あの場所に帰りたい。
フラガの声はとても温かかった。慈しむ様に全てを許すかの様に自分の中の歪んだ部分を浄化してくれる。
「おかえり」
最後に紡がれたその言葉に、は堪えていたモノを溢れさせた。頬を伝う透明の雫は止め処無く溢れた。
その言葉は初めて手を染めて泣いて帰ったあの日、迎えてくれた大好きな先輩と最愛の人がくれた言葉。
『ちゃんったら泣き虫なんだ』 『割り切れ。・・・でないと次は無いぞ』
言葉と裏腹には頭を撫でてくれた。エバも冗談めかしていたがとても心配してくれていた。優しかった。
あそこに戻り言葉を交わして初めて、自分は生きていたんだと実感できた。肩の荷を降ろして笑えたのだ。
『はクール過ぎ。もっと、人間味を前面に出しなさい!』
『黙れ。お前は御託を抜かす以前に上官としての威厳と自覚とやら持ったらどうだ?』
『うっわー!ちゃんそれ言っちゃう?だからいつまで経っても綺羅君とディープな仲になれないんじゃん』
『無粋なことを言う前に己を見直したらどうだ?不倫の上に7歳も年下に手をだしやがってこの犯罪者』
『生憎、10歳以上離れてない限り犯罪にはならないんだよ』
『勝手に言ってろ』
『しかも、うちの嫁さんこの戦いが終わったら離婚届提出に行くつもりらしいから不倫にはならないんだよね』
あの二人漫才も見慣れたものだ。テンポ良く進むその会話を見て毎度頬が綻んで笑いが止まらなくなった。
そんなとエバのやり取りを見ているのが楽しかった。あの二人が居たから軍が帰る場所になったのだ。
『・・・馬鹿が。、言うのが遅くなったね』
『ちょっと、上官に馬鹿は無くない?っていうか、最初にいうべきだろ、それ。』
馬鹿みたいに口論を続けた後には必ずこちらに振り返ってくれる。そして、笑顔でその言葉を与えてくれた。
あの優しい日々の中でありふれた風景。それは私にとってかけがえの無い魔法の言葉で心安らぐ場所だ。
『『おかえり』』
ただ その言葉が聞きたかっただけだ
声が聞きたい、その姿を目に映したい。
2010年4月 脱稿