「・・・っ・・・うっ・・・」

不意にベッドの方で呻き声が聞こえた。視線をそちらにずらすとエバが意識を取り戻したらしい。小さく呻く。
慌てて駆け寄るカガリに咄嗟に「いけません、カガリ様!!」と、鋭く警告を発した。が、少し遅かったようだ。

「!!」

腕が瞬間的に引き寄せられベッドに押し付けられる。それが今し方意識を取り戻した男の行動と思えない。
男が口を開こうとするのと、が男に銃口の標準を定めたのは同時だった。安全装置は外されたまま。

「・・・その手を離せ」

発せられた声は酷く淡白でいつもののそれとはまた異なる。洗練された軍人の目と表情だ。ゾッとした。
目覚めたエバと向かい合いながらも銃の照準がずれることは無い。「2度目は無い・・・離せ」。忠告の言葉。
エバも従う気が無いのかカガリの首に腕を回してを睨み据える。仮にも軍の上層部の者としての誇り。

「悪いが、捕虜になる気はないのでね」

この状況に置いてまだ余裕を浮かべるエバ。それがの怒りの琴線に触れたらしい。スッと目を細める。
そんなを見てカガリは内心焦る。確実に怒っている。下手すれば自分とまとめてエバを撃ちかねない。

(――というか、何で私は巻き込まれているんだっ!!)

心の中で叫ぶ

運が悪いにも程がある。助けた相手に恩を仇で返されるとは思わなかった。の言葉は案外正しかった。
今回だけはの言葉に反論した自分を酷く後悔した。恩返しを期待したわけではない。が、これは酷い。
あんまりだ。しかも怒ったは手が付けられない。今のカガリの全神経は如何にこの状況を乗り切るか。

――これに尽きる。






「・・・安心なさい。エバ・マクスウェル」

睨み合って数分。不意にが諦めたように溜息を漏らした。口端を小さく持ち上げて笑いながら告げる。
何故名前を知っているのかと警戒の視線を向けるエバ。「これ」。笑って見せたのはネームプレートだった。

「君達は?見たところ、こちらの彼女は連合の者と見えるが・・・」

思ったより冷静さを欠いていたらしい。まさかそんな単純な事にも気付かないなんて大佐が聞いて呆れる。
落ち着こうと息吐き、改めてとカガリを見遣った。まだは倭人だと分かる容姿。しかし、隣の娘は。
――明らかな異民族、連合に属する者の配色だ。自分も人のことを言えないが、自分は帝国に属している。

「連合?私はオーブの・・・「私達は連合にも、倭帝国にも属してはいない。中立よ」」

オーブという言葉を発しかけたカガリを遮り、が静かに言葉を紡ぐ。何を馬鹿げた事を言うのだろうか。
帝国と連合の真二つに二分したこの時勢に中立など有り得ない。エバは「何を戯言を・・・」、と、吐き捨てる。
「いいえ、事実よ」。それでもはなおも言葉を繋げる。完全に発言を潰されたカガリはそれを見ていた。

「その前に・・・私の主人を放してもらえる?」

それ以上先は、カガリを開放してからだ。は視線でカガリを離すように促す。エバは一瞬考え込んだ。
が、それ以上は無駄と考えたのかカガリを開放した。「・・・悪い」。小さく吐き捨てられた言葉は存外優しい。
カガリは当惑したようにエバを見上げた。しかし、直ぐにの隣に移動しエバを見据えた。童顔だと思う。


エバ・マクスウェルという男の見た目はとても幼く見える綺麗な顔立ち。童顔というやつだ。中性的だと思う。
その澄んだ瞳を見ている限り、先ほどの行動に出るような人物には見えなかった。人は見かけによらない。
に言えば、間髪入れずにそう言葉を返されることだろう。確かに件を考えれはそれには大いに賛成だ。

が、自分が発見した人物だからという事もあるだろう。に言えば甘いと叱られそうだが少し気にかかる。
発見したのはついさっきで持ち直してからそれほど時間が経過していない筈。激しく動くのは控えるべきだ。
・・・・こういうところがおめでたい頭だと言われる所以なのだろうか。だが、普通は心配くらいするもんだろう。



「さて、改めて名乗りましょうか・・・私は・アスカ。こちらは主のカガリ・ユラ」

エバの沈黙を合図に完全にペースを握ったらしい。にこりと綺麗に微笑んでが言う。様を付けろ、様を。
カガリの心の叫びなど聞こえる筈も無くは「貴方は?」と言葉を繋げた。自分で呼んでおいて何なのだ。

「エバ・マクスウェルだ。君達は何者なんだい?」

なぜ年若いに主導権を握られているのだろうか。だが侮れない。警戒を怠る事無く常の調子で尋ねた。
「人に物を尋ねる時はまず自分から・・・習わなかった?」。だが、のペースは難攻不落。中々崩せない。
その言葉にエバは暫し沈黙する。何と無く勘だが、彼女には何を言ったところでするするとかわされそうだ。

「冗談よ。でも、先に私から確認させてもらう。・・・貴方は、倭帝国軍海上機動隊の者だね?」

どう動くか考えていれば、先に動いたのはだった。彼女の尋ねたその内容にエバは全神経を集中した。
まさか向こうからその話題を振って来るとは。まさしくカモがネギを背負ってやってきたようなものであった。

「そうだ。・・・知っているのか?」

の問い掛けに素直に答え、逆に問い返した。知っているならば都合が良い。今は情報が必要である。
その言葉にはこくりと小さく頷く。ただし、「私だけだけどね」、と言葉を付け足して。それでも構わない。
多いに越したことは無いが、それよりも前提条件として情報はあるに越したことは無い。状況を整理したい。

「貴方は、あの国がどうなったと思う?」 「・・・・・・」

予想外のの問いにエバは沈黙した。あの状況からして、自国が勝利したとは到底思えなかったからだ。
空軍部隊は特攻、海軍はほぼ壊滅状態。本土ではあの優秀な第6機動部隊ですら苦戦を強いられていた。
まさかあんな軍事力を保持していたとは。驚異的であった。その状況で勝利は考えられない。むしろ――。

(・・・失った・・・か・・・)

浮かんだのは失笑

はおそらくその後を知っているのだろう。だからこそこんな問い掛けをした。国に一番近かった自分に。
そこまで考えれば必然的に答えは出る。倭帝国はもう存在しない。負けた。自分達は敗戦国となったのだ。
そして、全てを失った。あの心地良かった居場所も、自分が率いていた海軍も。そして―ももう居ない。

その結果は予知していた事であった。出撃の前日に親友であったエリーザ・ジュールと語らっていた時から。
分かっていた。此度の戦いは帝国に勝機は無い。いくら発展したからと言え、アジアの小一国に過ぎない。
大国の連合軍が本気を出せば倭帝国に勝ち目など皆無。ただそれでも、生きてさえいれば良いと思った。
生きていれば道は拓ける。だから、に「死ぬな」と告げた。多くは望まないから。だから、せめて。

せめて生きろ―――と。



「負けたのだな、帝国は」

浮かんだのは自嘲の笑みだ。自分も、友も何の為に戦っていたのだろう。負けを決していながらも戦った。
軍に属している以上、負けると分かっていても戦わないわけにはいかなかった。そして徒に兵を死なせた。

「・・・数世紀前にね」

真実に目を丸くしたものの直に受け入れたエバ。おそらく分かっていたのだろう。紗恵は更に言葉を続けた。
その言葉にエバは目を丸くしてを見遣る。まったく、昔から全然変わっていないとは口元を緩める。
倭帝国は滅んだ。今はアジア共和国のひとつ。そして、此処、オーブは嘗ての帝国が描いた夢そのままだ。

「それはどういう・・・」 「此処はオーブのオノゴロ島」

理解出来ないとエバはに視線を見る。はその視線から逃れる事無くにこりと微笑み言葉を返した。
確かに普通は信じられない事だろう。数世紀も超えた場所に飛ばされるなんて。だけどこれは真実なのだ。
自分とて初めて此処に来た時は信じられなかった。終わる事が出来なかったのを酷く悔やんだ。あの頃は。

「・・・オーブ?」

初めて聞く国だとエバはを見遣る。は知らなくて当たり前だと小さく笑った。彼女の意図が不明だ。
何を思い先ほどから発言しているのか、驚くほど読めない。彼女もまた軍人という立場だからなのだろうか。
意図して読もうとすればするりとかわされ、然程気にしなかった事が重要事項であったり。まるで読めない。

「さっきも言ったが、オーブは中立国だ。地球連合にもザフトにも属していない」

不意を付いて口を開いたのは今まで沈黙を通していたカガリだった。本来なら紗恵が答える筈だった言葉。
は余計な事をと言わんばかりにカガリを一瞥する。その目はどう見ても主を見据える目ではなかった。
地球連合という言葉にエバは驚愕した。連合は知っている。しかし、地球が付く程大規模だなんて知らない。


そんなエバを横目で見遣って、は小さく息を漏らした。だから、カガリに口を挟ませなかったというのに。
その気遣いも全て意味を失くした。仕方がないと言えば仕舞いだ。されど、自分も体験したからこそ言える。
この状況に陥った者には誰しも、考える暇をやらねばならない。ゆっくり落ち着いて整理する時間が必要だ。

自身も経験しているからこそ言える。こんな奇天烈な事件普通は信じられない。だけどそれが現実だ。
受け入れざる得ない。が、やはり時間は必要。詳細はもう少し落ち着いてから話すつもりだったと言うのに。
なのに、この姫様と言ったら。計画を悪気無く打ち壊してくれるのだから性質が悪い。厄介も良いところだ。



「どういう・・・」 「・・・詳細は追々話す。今は傷を癒しなさい」

意味だ?と問いかけたエバを遮り言い聞かせるようにが言った。刹那、さり気無くカガリの背を抓った。
自分よりも一回りは年下であろう娘に宥められているなんて。しかし、その言葉にはなぜか逆らえなかった。
言われて初めて鈍い痛みに気付いた。その箇所を見ると丁寧に包帯が巻かれてた。嗚呼、これが原因か。

視線を上げると、と視線が重なった。何故か、彼女を見ていると懐かしい気がするのは何故だろうか。
知っているような気がする。が、実際のところ自分はを知らない。でも、丸っきり初対面とも思えない。
自分の気の所為なのだろうか。確かめるようにもう一度視線を向けると、彼女はただ綺麗に小さく笑うだけ。



「――此処では安心して休みなさい。大丈夫。誰にも踏み込ませない。」

更に畳み掛けるように紗恵が言葉を紡ぐ。その言葉はまるで幼子に言い聞かせるかのように優しい響き。
その言葉にエバは何とも言い難い既近感を覚えた。この言葉を昔、自分はどこかで聞いた記憶があった。


『ようこそ、倭帝国へ――』
『長旅で疲れたでしょう?今日はゆっくり休んで、詳しくはまた明日ね』
『私のことは――と呼んで。こっちは娘の――。』

『 大 丈 夫 よ 。 誰 に も 踏 み 込 ま せ た り し な い 。 』


そうだ――

・・・・・知っている。


記憶の中に残る"彼女"も、初めて対面した時にこうやって安心させる風にして笑いかけてくれたのだった。
あの時の笑顔は今も鮮明に思い出すことが出来る。異国の留学生を受け入れても平気だと彼女は笑った。
咎められないのかと聞けば、おかしな事を言うと笑った。そして、私の家なのだから文句は言わせない、と。

そんな彼女の元に自分達は滞在した。だから、特に不自由する事無く留学期間を過ごすことが出来たのだ。
思えば、彼女に出会って今の自分が出来たのだと思う。彼女は不思議な人だった。否、正直変な人だった。
簡単にいえば性格破綻者。これがあの子の祖母かと思うと今考えても信じられない。が、優しい人だった。


知景 ――の祖母だ。




あの頃と少しも変わらない。

2010年4月 脱稿