泣き疲れて眠っていたらしい。目を覚まして時計に視線を向けると夕方を過ぎていた。机に置手紙がある。
それは言うまでも無く部屋の主であるムウ・ラ・フラガの字だ。夕食は冷蔵庫に冷やしてるから適当に、と。
むしろ手紙の内容の方が適当だと思った。は傷に響かぬようにゆっくりと身体を起こして立ち上がる。


「生きてるん・・・だ」

信じられないと言わんばかりにぽつりと呟く。あれだけ泣いたのだからその事実は認めているつもりだった。
だけど、やはり実感が湧かない。なぜならあの瞬間に感じた熱さも痛みもホンモノだったのだ。死んだのだ。

――なのに、生きている。

死に損ねてしまった。エバもも空の仲間も死んだというのに。ただ一人、無様にも生き残ってしまった。
「・・・ハハッ。ほんと情けないや」、乾いた笑いが零れた。どうして自分だけが生き残ってしまったのだろうか。
どうして、自分だけが逝き損ねてしまったのだろう。確かに死ぬのは怖い。怖いけれど、一人よりはマシだ。

行く宛も無く今生きている己が信じられない。それも、連合軍に―少し未来のだけれど、保護されるなんて。
フラガはおそらく自分を危険に晒すつもりは無いだろう。軍人としての勘が告げる。ただ、素直に喜べない。
ひとりになった時点で生きる意味が存在しないのだから。ただ一緒に居たかった。傍に居たかっただけだ。


「・・・・・・エバ・・・っ」

途端に視界がぼやけて冷蔵庫の前に座り込む。顔を覆った掌に感じたのは濡れた感触。涙が止まらない。
自分がこんなに弱い人間だと思わなかった。軍に入ってエバやに出会うまでこんな自分知らなかった。
笑っていればやり過ごせたあの頃の自分はもう居ない。そんな自分を取り繕うことは出来ない。ただ寂しい。





「傷が痛むのか?」

不意に背後から呼びかけられる。「・・・フラガさん」。視界に映ったのは異なる母を持つ兄と同じ声をした人。
案ずるようなその声に重なって見える面影に涙が止まらなくなった。どうして赦されないのだろう。どうして。


ただ好きだっただけ。傍に居られたらそれで良いと思っていた。瞳の色も髪の毛の色も違う。苗字さえ違う。
なのにひとつ同じ血が通っただけで一緒に居られなくなった。ただ傍に居れたら良かった。それだけなのに。
だから軍という場所に足を踏み入れたのだ。そしたら、予想外に大事なものと居場所が同時に手に入った。

――嬉しかった。

大切だと思った。だから、護りたいと思った。強くなりたかったんだ。ただあの人達の背を追いかけたかった。
あの二人、エバとと一緒に笑い合っていたかった。ただそれだけなのに。どうして赦されないのだろう。
どうして・・・、傍に居ることすらも許してもらえなかったのだろう。私が願ったことはそんなにも高慢でしたか。



「夕飯。出してやるからベッドに戻っとけよ・・・開くぜ?」

そう言いフラガは蹲るの涙を見ないフリして立ち上がらせた。手を借りベッドに向かおうと立ち上がる。
不意に過ぎったのは言葉に表せない感情の渦。・・・違う。違うんだ知っている、分かっているんだ。だけど。

「・・・フラガさんは、連合に属してらっしゃるんです・・・よね」

紡ぐ声はいつもより驚くほど低い。頭では理解しているのに心が納得しようとしてくれない。止められない。
「・・・あぁ」。フラガは何を思って返答したのだろうか。小さく頷いた。その言葉に、は小さく肩を揺らした。

――どうして、いつも愚かな答えしか出せないのだろう・・・。


ダンッ

反射的だった

傷口が開くことも気にせず、フラガの胸倉を掴んで傍の壁に押し付けた。フラガは抵抗ひとつ見せなかった。
「・・・ッ・・・!」。その反応さえも癪に障る。は咄嗟にフラガの持っていた銃を奪いその心臓に突き付けた。


――コノオトコガ――コイツラガウバッタ――ッ。

本能がそっと囁き掛ける。奪ったのだ。自分の大切なものを連合軍が。居場所も国も誇りも―大事なものも。
全部奪っていった。だから、今、自分は独りになった。喪失感よりも怒りが勝った。―こいつらが居たからだ。
こいつらが居るから大事なものもすべて消えてしまうんだ。零れ落ちてしまう。何一つ残ってくれないんだ。



「・・・どう・・・して・・・っ・・・」

不意に怪我口が開いたらしく傷口が熱い。突き付けた銃口を持つ手がずるりと落ちてフラガの腕を掴んだ。
そして、縋るように呟く。知っている。分かっているんだ。この人に何を言っても意味が無い事を。無関係だ。

だけど、


「な・・・んで・・・奪ったの、よ・・・っ・・・!」

止められなかった。彼が連合軍に属していると聞いた瞬間、激情が止まらなかった。奪ったのは奴らだった。
込み上げた涙が再び溢れた。責めるように告げた言葉は糾弾に等しい。それをフラガは黙って耳を傾けた。

何をしたというのだろう。ただ自国を護りたかっただけだ。自分の祖国を、大切なものを護りたかっただけだ。
奪われたら戻らない事は知っていた。だから、奪われないように護り続けただけだ。たったそれだけだった。
なのに、どうしてこんな結末になったんだ。大事なものを護るために戦ったのに何一つ残らなかったなんて。
残酷過ぎる。どうして全てを奪っていく必要性があったのだろう。植民地にして終われば良かった。どうして。
どうして、全て壊したの。どうして叩き潰す必要があった。私達はただ護ろうとしただけじゃないか。なんで。


「なん・・・で・・・・・・ここまで来ちゃったんだ・・・ろ・・・・・・」

呟いた声はあまりにも儚かった。仲間を失い、あまつさえ己も死に掛けた。それに加えて祖国すらも失った。
何も残っていない。この手には何一つ存在しない。これが単に八つ当たりに過ぎないことは分かっていた。
だけど、止められなかった。連合という言葉を耳にしただけでも憎しみは止まない。殺しても足らないほど。

なぜこんな結末を招いてしまったのだろう。戦い続ければいつか終わると思っていた。いつか平和になる。
ずっと、そう信じていた。自分たちが戦い、勝ち続ける事でいつか平和が訪れるのだと信じて止まなかった。
だから、怖くても戦い続けられた。自分の大切な人たちを戦うことで護れるならばそれで良いと思っていた。

なのに――



「・・・連合軍が憎いか?」

今まで沈黙を通していたフラガが不意に言葉を紡ぐ。智春は間髪居れずにこくりと頷く。それは変わらない。
たとえが時を越えて未来に来たとしても。連合軍という名を聞くだけで憎しみが止まない。―――憎い。

「わか・・・っ・・・てる・・・・・・フラガさんも、この時代の人も悪くない・・・でもっ・・・!」

まるであやす様な手つきでフラガがの頭を撫でた。温もりに在りし日を思い出してまた泣きたくなった。
胸倉を掴む手はいつしか弱まり縋るように彼の軍服を掴む。その声はまるで祈るように真摯な響きだった。

でも、の後が続かない。続けられるはずが無かった。こんなの軍人らしくない。紫音寺少尉らしくない。
分かっている。だけど止められなかった。何も手元に残っていない者が出来る事は後悔と渇望するだけだ。
護るべきものは全て失った。もう無い。永遠に届かないのだ。だから、八つ当たりのように責めるしかない。


「・・・・・・悪い」

目の前で泣きじゃくるを見て、フラガはその言葉しか出て来なかった。自分達がやったわけではない。
だが過去の自分たちの祖先がやったのだ。人事では無かった。倭帝国の末路に関しては戦史学で学んだ。
悲惨なほど迫害され、そして国を潰された。今はアジア共和国の一角となっている。その面影は最早無い。

「・・・っ・・・ただ・・・傍に居られるだけで良かった・・・・・・の・・・にっ」

それは悲痛な叫びだった。成人したばかりのが願った唯一つの小さな願い。それさえも掻き消された。
彼女の言葉から境遇を察することは出来ない。が、が失ったものが如何に大切であったかは分かる。
抱いたものは無念だ。フラガにはを慰める言葉を持たない。もまたそれを望んではいないだろう。


それをやってのけたのは自分達の祖先だ。仕方がないとは言え、それを聞いた時は酷過ぎると感じたほど。
だが、その悲惨さこそが戦争の証。戦争だから仕方がないで罷り通る。言葉にならない不快感が残された。
何故そこまでやらねばならなかったのか理解出来ない。ただ、「邪魔だ」という理由で彼女の国は潰された。

自分に出来るのは、ただ黙ってその糾弾を聞き入れるだけ。とてその不毛さは理解しているのだろう。
しかし言わずに居られない時だってある。同じ軍人としてフラガもそれは理解出来た。だから、受け入れた。
せめて今は。が心落ち着かせ現実を受け入れられるまでは。黙ってその言葉に耳を傾けようと思った。



あれからどれ程時間が経過しただろう。詰め寄った拍子に傷が開いたは熱を出しベッドで眠っていた。
ただでさえ体力が限界であるところを掴みかかったからだろう。身体に掛かる負担はあまりにも大きかった。


「・・・エバ・・・先輩・・・」

眠るの瞳から透明の雫が零れ落ちた。うわ言の様に紡がれたその声は儚い。零れた涙を指先で掬う。
その寝顔は泣いているみたいで、フラガは眉を僅かに顰めた。柄じゃない。だが、放って置けなかったのだ。
最初に拾った時もそうだった。ボロボロの姿では突然部屋の前に姿を現した。気が触れたかと思った。

だが、何度見直してもは目の前に居た。仕方なしに部屋に連れて入った。その時も彼女は泣いていた。
今と同じように知人であろう名を呟いて。の涙を拭うのはこれで2回目。泣き顔はあまり見たくはない。
それなら笑っている顔や怒っている顔を見る方が余程マシだ。泣いてる顔を見るのはあまりに遣る瀬無い。

・・・・・・・・・・・・。

次に目覚めた時、はちゃんと笑ってくれるだろうか。まだ心は癒されないだろう。されど、笑って欲しい。
あんな姿を見るのは御免だ。が生きる事を望むならそれを応援してやりたいとは思う。償いだろうか。
否、違う。否、違わない。自分の責任ではないが、知らない誰かに自分もまた同じ思いをさせているのだ。

だから――


「・・・そんなに好きってわけかい。妬けるねぇ」

呟いた言葉は冗談交じり。されど、その青い瞳は深い憂いの色を孕んでいた。くしゃりとの頭を撫でる。
小さく身じろぐその姿を見て頬を緩めた。まるで無防備なその姿に先ほどのあれは何だったのだと思った。




ひと時の夢の中で会えたらいいのに。

2010年4月 脱稿