「――気分は如何だ?」
言葉と同時にエア音が鳴りドアが開いた。視線を向けると入って来たのは緑服の男 ミゲル・アイマンだった。
面倒見が良いのか、単に世話焼きなのか。あれだけ揉めたにも関わらず何かとの面倒を見てくれた。
「・・・・・・」
だが、言葉を返す気力もなくはミゲルを確認した後、再び膝を丸めて蹲った。その目は空ろ気だった。
仲間と国を同時に失った事が精神的にも大きな打撃を与えたのだろう。あの日からずっとこの調子である。
ロクに食事も摂らずベッドの上で蹲ったままだ。良い加減、何か食べなければ栄養失調になりかねない。
確かに第一印象は最悪だった。だが、それはナチュラルとコーディーネーターとして見たから。それだけ。
だが、歴史の中に存在する彼女の過去を知って以来、どうにも敵視できない。同情の念が湧いて止まない。
知景もまた、自分たちと同様に戦争の犠牲者の一人に過ぎないのだ。大事なものを護ろうとしただけ。
「その後の彼女はどうかね?」
度々の部屋を訪れていることを知っていたクルーゼは目の前で書類を片していたミゲルに尋ねた。
ミゲルは一瞬目を丸くするものの、言葉に困ったように肩を竦めて苦笑いを浮かべた。首を横に振った。
「・・・相変わらずです。食事はおろか、水さえ摂ろうとしません」
小さく溜息を漏らしお手上げだと言わんばかりに肩を竦めた。ミゲルがを気に掛けるのは意外だった。
そんなミゲルを隣でキーボードを叩いていたオロールが意外そうに目を向けた。何故そうも気にするのか。
だが、ミゲルの言い分はあんな状態を毎日見ていたら嫌でも放って置けなくなるとの事。あまりにも酷い。
あの日からずっと、は虚空を見つめて時折呟く。うわ言のように仲間であった人物の名を呟いていた。
そして、名を呟いては必ず泣きそうに口を結んで顔を俯かせるのだ。紡がれた名が誰なのかは知らない。
最初の頃の威勢はどこに消えたのかと問いたくなる。おそらく、あれは軍人としての強がりだったのだろう。
誇りも国も仲間も全て失った今、彼女が立ち直るものは存在しない。故に、あそこまで精神的に弱ったのだ。
だが、それを他人事だとは思えなかった。自分たちも万が一、戦争に負けたとしたら―考えたくも無い末路。
「・・・確かにアレは見てらんねーよな」
ミゲルに付いて行って一度見たが、アレは見ていられなかった。オロールは独り言のように小さく呟いた。
下手すれば自ら命を絶つかも知れないという危惧すら生まれるほどには憔悴仕切っていたのだから。
「・・・なぁ、あんたの仲間ってどんな人だったんだ?」
またいつもと変わらず虚空を眺めるに何となしに声をかけた。はちらりとミゲルに視線を向ける。
「・・・第6機動隊?それとも、エバ達?」。無視されるかと思った。が、予想外に小さな声で話しに乗ってきた。
「・・・どっちも、だな。同じ軍属の身なわけだし興味あるじゃん」
と、の呟きを一言一句聞き逃す事無く答えた。は暫く考え込んだ後、思い立った様に口を開いた。
思い出すと今でも泣きそうになる。もう帰れないあの場所が恋しくなる。自分はこんなに弱かっただろうか。
「・・・は第8航空機動隊の少尉で、士官学校での後輩だった。私よりひとつ下で今年成人したばかりだ。
純粋で、明るくて・・・真っ直ぐで、私に無いものを持ってる子だった。」
ゆっくりと紡がれる言葉はとても滑らかに紡がれる。仲間を語るの表情は今までで一番優しい表情だ。
「エバは第1海上機動隊の大佐。性格は馬鹿で陽気で、雰囲気は・・・あの、クルーゼという人に似ている。妻子持ちでありながら、にまで手を出しやがった・・・目の前で平然といちゃつく無神経な男だ」
最後に紡いだその言葉は何か不穏なものが含まれている気がした。思わずミゲルは表情を引き攣らせた。
だがその口振りから言って、如何に彼らを大事にしていたかが手に取る様に分かる。辛辣だが優しかった。
「へぇ・・・軍人の割に個性派揃いなんだな」
話を聞く限りではとても和気藹々としていて、楽しそうなその空気にミゲルは小さく呟いた。何も変わらない。
自分達と一緒だ。仲間と友情を育んで、馬鹿みたいにじゃれて、喧嘩して。何一つナチュラルと大差が無い。
「軍人といえど、私達だって人間だ。笑いもする・・・そうだろう?」
先程よりもずっと人らしい表情では言う。その言葉にミゲルも「確かに」と笑みを浮かべて肩を竦める。
が来るまではこんな風にナチュラルと普通に話すとは思わなかった。異物感しか感じなかったはずだ。
「で、エリーザ・ジュールって人は?史実では第6陸上機動隊の若き天才中将だったって話だけど」
と問い掛ける。が、『エリーザ』の名を出した途端、の表情が曇った。細められた瞳は寂しげに揺れる。
話題を誤ったかと思い、「悪ぃ、嫌なら答えなくていいぜ」と、訂正を入れた。が、は首を横に振った。
「・・・エリーザ・ジュール中将は、私の最も敬愛する最高の上官だった。冷静沈着、頭脳明晰。完璧な人だ。
そして、何より自軍の隊員が死ぬのを嫌がった優しい人。唯一難点を挙げるなら少し癇癪持ちなところだな」
見た目だけならば人形の様な方だよ。とエリーザを語るの表情は穏かだ。どれ程慕っていたか分かる。
だから一瞬、話すべきか迷った。エリーザ・ジュールの血はまだ残っているのだと。ナチュラルではないが。
コーディネーターとして存在しているのだと。だが、止めた。が慕うのはあくまでエリーザ・ジュールだ。
血は絶えてなかろうと、本人ではない。軽はずみな発言はを傷付けるだけだ。ミゲルは黙って聞いた。
そして、考える。何故自分は、目の前のナチュラルの女を気に掛けているかと。これは同情なのだろうか。
国と仲間、帰る場所すら失った目の前の女に対する―同情。「・・・・・・」。考えても答えは出て来ない。溜息。
『中将!』 『・・・、今は上司部下は関係ないだろう。』
エリーザ・ジュールは士官学校に籍を置いていたの後見人だった。祖母を亡くした後からずっとだ。
優しく包み込むように愛しんでくれて、時に厳しく叱ってくれて、そして、何よりの幸福を願った人だ。
「あの人の居た第6陸上機動隊は私の誇りだった。中将の背中を護りたくて、士官学校の頃は訓練に励んだ。
軍に入隊後も、あの人に近付きたくて躍起になってたんだ。中将ったらクールな顔して妙に情に篤くてさ・・・
総隊長だってのに部下が危険に晒されたら表舞台に飛び出して来ちゃうんだもん…困った人だよ、本当に」
エリーザ・ジュールを語るの表情はとても幸せそうだった。どれ程、彼を慕っていたかがよく分かった。
知景の軍人として生き抜く原点はおそらくエリーザ・ジュールなのだろう。その存在はとても大きかった。
「・・・・・・そっか」
幸せそうなその顔を見てしまうと、ミゲルは如何にも言い出せなかった。そのエリーゼ・ジュールの最期を。
そして、母国の末路を。あまりにも惨い仕打ちだと習った時は思った。そしてナチュラルは愚かだと思った。
それを知らずに彼女は今、笑っている。知らない方が幸せなのか、真実を知る事が幸いなのか分からない。
「そう言えば・・・名前は?」
仲間を語っている間に少し気分が晴れたのかはいつもより饒舌になっていた。そしてミゲルに尋ねた。
内心今更かよ・・・と思いつつも、「ミゲル・アイマンだ」、と、握手を求める手を差し出しながら名を名乗った。
「ミゲル・・・か。あの時は掴みかかってすまない」
苦笑交じりに頭を下げた。互いに事情を知らず、平常心を失っていたのだから仕方がない。とは言えない。
見ず知らずの相手に掴みかかると後味が悪い。ミゲルは「気にするな」と言うが、気にならない筈が無い。
「お前は?」 「倭帝国軍第6陸上機動隊所属、知景大尉だ」
問い返すミゲルに帝国軍式の敬礼をして答える。こうやって敬礼するのも久し振りな気がした。当たり前だ。
今までする必要が無かった。その表情は少し前までのものとは打って変わり軍人のものだった。凛々しい。
「か。年は?」
その反応にミゲルは小さく笑って更に問い掛けた。「21歳だ」と、何とも簡潔なの言葉が返って来る。
21歳といえばコーディネーターでいうところの16歳くらいだろう。まだまだ若い。そう思うと妹のように思えた。
ミゲルには冴架と同い年の弟が居る。そこで初めて気付いた。自分がなぜを放って置けなかったのか。
――弟にそっくりなのだ。
「今後、如何するつもりなんだ?」
一番気にかけていた事を率直に尋ねる。が、は「まだ分からない」と首を横に振った。暗中模索状態。
それでも、まだ諦めていない何かがあるのだろう。彼女の目は死んでいなかった。そして、小さく微笑んだ。
「・・・だけど、倭帝国のその後を調べようと思ってる。後のこと、私知らないから・・・」
自分の国のその後も知らないなんて情け無い話だ。苦笑を浮かべながらはミゲルに向かって言った。
その態度も、言葉も、今まで一番柔かい女らしいものだと思う。だとすれば、今までの態度は何だったのか。
「ところで、の口調ってどっちが素なわけ?」
ふと思ったのか、ミゲルが問い掛けた。先程からの口調が揺れ動いている様に思える。素はどっちだ。
「え?ぶっちゃっけコッチだけど・・・」返って来た言葉に思わず目を剥いた。先ほどよりもずっと崩した言葉。
「仕事以外であんな固い口調するわけないだろ。あれはケジメだよ」
小さく笑いを含んだ返答に驚くよりも呆れのほうが勝った。いや、ある意味脱帽だ。普通そこまで変えない。
というか、変えようとは思わないだろ。「仲間とも?」と問いかければ、「いや、軍ではあっち」と返答が来た。
「・・・倭帝国のメディア。見れる様に隊長に話し通しといてやるよ」
しばらく軽いノリで言葉を交わしてたが、不意にミゲルが思い出したように言った。その言葉に目を丸くする。
が、直ぐに小さく微笑み「ありがとう」と呟く様に言葉を返した。ひらひらと手を振り返すミゲルの背を見遣る。
シュン
ドアが閉まる
「・・・・・・ありがとう、ミゲル」
その背を見送ったは呟いてそっと目を伏せた。ミゲルと話すつもりは無かった。何も聞きたくなかった。
だが、毎日飽きる事無くミゲルは部屋を訪れた。そして、食事を運んでくれた。机に乗せられた食事を見る。
本当は終わるつもりだった。この手にはもう何も残っていないのだ。だから、生きる事を放棄しかけていた。
国も、仲間も、居場所も、帰る場所も無いのならば生きている意味が無い。ずっとそう思っていたのだから。
だけど、ミゲルが話しかけてきて気紛れで返事をした。そこから話す内に自分が生きてるのだと気付いた。
エバは言った。――絶対に死ぬな、と。は言った。――死なないでくださいね、と。そう約束したんだ。
そしてエリーザ中将は言った。――お前は何があっても生きろ、と。生きる事を放棄する道など存在しない。
生きていなければならないのだ。生きてもう一度あの場所に帰る。だって、あそこには待っている人が居る。
『僕、戦争が終わってもが居ないと意味無いんだから・・・。』
――帰るんだ。
まだ、帰るべき場所は残されているから。
生きて、必ず―――。
――やっと立ち上がることが出来たのかも知れない。
生きる意味を見つめなおす。
2010年4月 脱稿