あれからどれだけ時間帯が経ったのかは分からない。でも、私はいままでの日常を取り戻すことができた。
墓守領の自室でずっと本を読んで過ごしている。必要な時に食事を取りに行くために食堂をたまに訪れる。
それ以外は基本的に部屋で過ごしていた。部屋を訪れる人は限られている。この領土の領主、ジェリコ様。

そして、

この間は他領からたった一人で帰って来た私を見て相当驚いたのだろう。久し振りに両親と顔を合わせた。
抱きしめられて、泣かれた。今こうやって私が生きていられるのは領主のジェリコ様の心が広いからだ、と。
基本的に他領土への移住は許されない。住んでいたわけじゃない。でも普段から滅多に外出しない私だ。

そんな子が突然姿を消せば誤解もされる。そして見事に誤解されてしまった私は母に思いっ切り叱られた。
「どうして外なんかに出たの!?」と、涙声で詰め寄られ「なんとなく」とだけ答えた。何となくなわけがない。
私は本の虫で引き籠りだから気紛れだとしても外出はしない。ましてや他領土を訪れるなんてあり得ない。
あり得ないんだよ。でも、私を連れ出したその人の名前を出すことはしなかった。ううん、出せるわけない。


――元・余所者のエース様。


ジェリコ様と両親以外に珍しくも私の部屋を訪れた奇特な人。あまつさえ私の部屋で居座り寛ぎ出したり。
果ては私を外にまで連れ出した人。優しくて、でも、優しくない。私の年の近い初めての友達"だった"人。
その手を掴めなかったのは、呼び止められなかったのは他の誰でも無い私自身だ。だって無理なんだよ。

彼と私は違い過ぎる。彼は意味のある存在で、私は無意味な存在。一緒に並んで良い筈が無かったんだ。
一緒に居ることはとても楽しかったし、とても新鮮だった。だけども同時にいつも不安に苛まれ続けていた。
いまは少しだけ安堵してる。この慣れ親しんだ日常に戻って来ることができて良かった、と。心から思える。

私の存在場所はここだ。

誰とも交わることもなくただここで朽ちていく。外の世界を見てみたいだなんて分不相応なことは考えない。
無意味なら無意味らしくその場所に存在するべきだ。ほかと関わろうなんておこがましい。弁えるべきだ。
だから私は取り戻せた日常を大切にすべきだと思う。なのに部屋を見渡すと夢の残り香が微かにあった。

捨てるなりなんなりすれば良かったのに出来なかった。彼が忘れていったテント設営に必要であろうペグ。
処分出来なくて今もテーブルの引き出しに仕舞われたまま。返す宛てもないのに残している自分が居た。
ペグの予備はおそらくたくさんあるだろうから一つくらい無くしたとしても問題ない。いくらでも代えは利く筈。

・・・・・私も、このペグと同じ。


「食事・・・しなきゃ・・・」

考えることが憂鬱になって引き出しを閉めて呟く。そういえば今日はまだ一食も摂っていなかった気がする。
流石に一食も食べないのは拙い。それがジェリコ様にバレたら問答無用で監視付きの食事が待っている。
なまじ前科がある分、断ることは許されないだろう。監視は御免だ。ふらふらした足取りで食堂に向かった。

この時間帯ならまだ人も少ないだろうからちょうど良い。さっさと食事を受け取って早く部屋に戻って来よう。
廊下に出ただけでこんなにも音が充満しているのかと驚いた。私の部屋は基本的に切り離された空間だ。
外部の音が殆ど入らないだけにたくさんの音に驚きを隠せない。何人か知り合いに声を掛けられて応える。
食堂に辿り着いて、今日のおすすめのAセットを受け取る。そして早々に部屋に戻ろうとして足が止まった。



食堂の入口に三人の人影がある。どうしてこのタイミングを選んでしまったのか。間の悪さに内心舌打つ。
だけども止まったままというのもおかしな話だ。何事も無かったか体を装ってその横を通り過ぎようとした。
だけどすんなり通して貰えるわけがない。だって、そこにはジェリコ様も居たのだから。「」。呼ばれた。


「お!ちゃんと食事摂ってるみたいだな」

案の定、声を掛けられた。その声に足を止め小さく頭を下げる。遠慮の無い力加減で頭を掻き撫でられた。
居たのはジェリコ様とエース様、そして滅多に見かけることもなく、ましてや話したこともない時計屋さんだ。
珍しい組み合わせだと思った。エース様がすぐ傍に居るけど流石にそちらに目を向ける勇気は無かった。

「むりやり食べさせられるのは敵いませんので」

軽く言葉を返してエース様と時計屋さんを振り返り一礼する。と言っても、顔を正視したわけじゃないけど。
胸が圧迫されるような感覚を覚え早くその場を脱しようと歩き出す。が、その瞬間、不意に呼び止められた。
「おい」という時計屋さんの声に仕方なく足を止める。いくらマイペースな私でも役持ち様を無視はできない。

「・・・何か?」

と、振り返って尋ねる。一瞬、時計屋さんは考え込む様に押し黙った。その横の彼も必然的に視界に入る。
だけどとてもじゃないけど怖ろしくてその表情を垣間見ることなんて出来ない。時計屋さんに意識を向けた。

「いや・・・、・・・なんでもない」

「気のせいだ」と、不可解な返事をされる。呼び止めといて理不尽だと思ったがそれ以上は問い詰めない。
もう一度、頭を下げて今度こそ食堂を後にした。時計屋さんを含め、場の三人が後ろ姿を見ていたらしい。
だけど当然ながらそんなことは私が知る由もない。それにそのことを私が知ったのはもっと後のことだった。


パタン

部屋に戻り 後ろ手でドアを閉める

無音の部屋に安心する。やはりここが一番似合っている。正直、皆に会った際、時計が止まるかと思った。
苦しくて怖くて、でも少しだけ寂しい。そんな風に思ってしまった自分を振り払う様に食事をテーブルに置く。
でも食事を摂ることはせずにベッドに寝転んだ。ふと脳裏を過ったのははっきり見たわけじゃないエース様。


――元気そうだった。

多分時計屋さんに捕獲されて時間が時間だったからそのまま食事にしたのだろう。誘ったのはジェリコ様。
あの方は誰に対しても分け隔てなく優しい。時計屋さんはきっと「仕事が滞る」なんて言って渋っただろう。
だけどそれをゴリ押ししたのはきっとエース様に違いない。我儘に付き合ってあげる時計屋さんも優しい。

なんでそんな日常を私が知っているかと言えば、又聞きだ。すべてエース様から聞かされたことだからだ。
そんな他愛のない話しが出来るほどには私とエース様は近い場所に居た。その距離を許されていたのだ。
そして私自身、共有することを選んだ。でもね?たとえ選ぶ権利は与えられたとしても失うのは一瞬のこと。
知ってるよ。それはこの世界では常だってこと。そんな簡単なことは役無しの私だって理解しているんだ。


だからね、

―――だけどね。



一緒にいたいって

(伝う雫を拭う手なんて存在しない)


自覚した後の方が苦しいだなんて

2013年11月5以前 脱稿