気が付くと見知らぬ場所に佇んでいた。清々しい程の青空に颯爽と吹いた風。澄み切った空気は心地良い。
大気汚染や温暖化現象や水質汚染だとか現代で悩まされる害とは無縁。淀んだこの世界いは珍しい場所。
こんな環境を味わえるなんてこのご時世に滅多にない。貴重な体験だなとはのんびり周囲を見渡した。


「・・・気持ちいい」

とは言えども、見知らぬ場所で随分と呑気な言葉だと思われるかも知れない。マイペースには自信がある。
されども、穢れた世界しか知らないにとって目の前にある景色はあまりにも美しく同時に新鮮でもある。
敢えて言うならばこの先どうしようかなぁ、程度である。まずここがどこであるからさえ分からないというのに。

こんな見も知らない土地に放り出されて生きていける程、生憎、は強靭な肉体の持ち主では無かった。
まずここが山である時点で暫らく菜食生活かなぁ考えてみたが見極める目が無ければただの自殺行為だ。
残念ながらは最も大切な見極める目を持っておらず、即ち不用意な行動は死を意味するのであった。


To Be or Not to Be.....それが、問題である。

どこぞの有名な台詞をここで使う事になるとは露ほどにも思わなかった。というか、ここはどこなのだろうか。
生きるべきか死ぬべきか、選ぶは迷うまでも無く前者である。こんな見も知らない場所で死んでいられるか。
そんな最期の為に自分は20余年を生きて来たわけではないのだ。それに、幼い弟を残してまだ死ねない。


(とは言え・・・)

憎らしいほどの蒼天を仰ぎ 吐息

情けない話だけれど、これから先どうやっていったら良いのか皆目見当がつかないのだから困ったものだ。
木でも切り倒して家でも建てようかと考えてみたが自分が今持っているのは工作用のカッターだけである。
これで木を倒そうものなら柱一本目にして挫折するに違いない。より先にカッターがお陀仏してしまう。

なら得意の脚力を活かして回し蹴り?否、駄目だ。回し蹴りで大木を倒す女子なんて色んな意味で駄目だ。
というか、そんな事になった瞬間捨ててはいけない大切なものを捨ててしまう気がする。これでも女である。
冗談交じりでそんな事を考えている自分は案外余裕があるのだろうか。どうやら思っていたよりタフらしい。


ガサッ

茂みが揺れる

まるでこちらの反応を窺うような気配が数個。茂みの中からの様子をジッと見張る気配と視線を感じた。
特に気配やら視線に敏感なタイプではなかったと思う。だが無意識に最大級の警戒心を募らせてたらしい。
ポケットの中で作業用から護身用に一変。カッターを握り締めながら平静を装いさり気なく周囲に牽制する。

果たして20歳になったばかりの小娘の牽制がどれ程の効力を持つのか知れない。茂みから男が出て来る。
人数的には6人。一人は優男で残るはまるでゴロツキみたいな男達。女一人には些か多過ぎではないか。
どうしたものかと考える。しかしいくら考えたところで答えは浮かばない。なら三十六計逃げるに如かず、だ。


「・・・・・・」

とは言ったものの、タイミングがまるっきり掴めない。6人が取り囲むように佇んでいるから、逃げ道が無い。
僅かに後ずさった行動が誤解を招いたのだろうか、男達が下卑た笑みを浮かべて距離間を縮めようとする。
どうやら標的にされてしまったらしい。身形は辛うじて下半身を布を隠しただけ。ある意味で犯罪者である。
近付いて来る男の一人が「全部置いていけば命だけは助けてやる」と言った。ありがちな脅し文句だと思う。

(どうせ逃す気無い癖に・・・)

内心 吐き捨てる

それならば答えは一つだ。自分にとってこの荷は生きる為の糧と成り得る貴重な資本だ。絶対に渡せない。
となると、どうにか対処しないと駄目だ。大の男6人相手するのは少しきついが隙を突けば不可能ではない。
要は一瞬でも時間を稼げたならなんとか難を逃れられる筈だ。ある意味、酔狂な判断だとは思うけれども。


「悪いね、それ無理」

フッと口元に笑みを浮かべ瞬間的に屈んだ。眼前の男の間合いに一気に踏み込み顎に掌底を当てて昏倒。
先手必勝で驚愕する隣の男の腹部に渾身の横蹴りを一撃。3人目を相手にする余裕はなく間を擦り抜ける。
できるならば穏便に済ませたかったがそうもいかない。一気に加速して走った。追い付かれては堪らない。



元の場所に戻る方法の分からない現状において荷物は資本。これを手放すわけにはどうしてもいかない。
故に少しばかり荒い扱いにしてしまった。だが、相手も似たような態度を示していたのだから相子だと思う。
それにしても履き慣れていると言えどうしてサンダルなんて履いてしまったのだろうか。今更ながら後悔だ。
地面に生えた野草が足を擦れては素肌を傷付けていく。紙で切れたような鋭い痛みに思わず眉を顰めた。

ふと水の気配を感じる。人は自然と生命の源である水に惹かれるのか無意識にそちらに足を運んでいた。
距離を空けたから追手の気配も今のところない。茂みに身を隠して湖の方を見遣った。人の気配を感じる。
視線の先に湖、否、それとも海だろうか?が、広がっていた。その岩壁の上に凛然とその人は佇んでいた。


「・・・・・・」

思わず息を止まった。心の底から何かを綺麗だと思うなんていつの日以来だろう。見惚れたというべきか。
輪の形をした銀色の刃を持って水面を見据える緑の衣装を纏ったその人物を呼吸も忘れてただ見つめた。
個性的な身形は兎も角として、ジッと水平線を見つめる怜悧な琥珀色の瞳に意識は釘付け。ただ惹かれた。


――綺麗だ。

ボキャブラリー貧困だと言われるかも知れないが、それでも、ただその言葉以外の言葉が思い浮かばない。
あまりにも綺麗で美しくて、神妙に映った。声をかけようかと一瞬考える。しかしそれを行動に移せなかった。
立ち入る事は許されない神聖な領域がそこに広がっているような気がした。だが同時に触れたいとも思った。

そう考えたのは、もしかしてその人が幼い頃に亡くなった父さんの面影を持っていたからなのかも知れない。
何度でも言う。綺麗だと思った。こんな綺麗なものがこの世にあると思わなかった。でもそれ以上に驚いた。
こんな気持ちになったのは初めてだ。惹かれて止まない。まるで子供のように欲しいと焦がる想いが募った。



「このアマっ・・・やっと掴まえたぜ」

不意に無理矢理髪を掴まれて茂みから強引に引きずり出された。何時の間にか息を殺すのを忘れていた。
大分距離を空けていたつもりでいたが相手方は草履に慣れていたらしく連中は予想以上に早かったのだ。
突然の出来事には思わず目を剥いた。されども、力で敵う筈もなくされるがままに全身を引っ張られる。

「・・・っ痛」

容赦なく木の幹に身体を叩き付けられて背中を強打する。強い衝撃と鋭い痛みに思わず頭に星が舞った。
意識を飛ばすのは辛うじて耐え忍んだ。が、しかしかなり拙い。叩き付けられた拍子に足を捻ってしまった。
無理な体勢が祟ったらしい。背中の痛みとまた別に痛みと熱が右足首に籠る。立ち上がる事が出来ない。

支配欲と優越感から、ゴロツキ達は下卑た笑みを更に深めてを見下した。自分はこの目は知っている。
視線が明らかに別の意図を孕んでいる事を理解したは冷め切った視線を男達に向けた。胸糞が悪い。
その舐めるような視線が不愉快だった。もう幾度もこんな目をした男を見て来たのだから嫌でも理解できる。

「最初から大人しくしてりゃぁ良かったんだ・・・そうしたら痛い思いしなくて良かったのによぉ?」

男の一人がそう言って、右足を庇い座るの前に屈んだ。顎に触れた男の指先に反射的に眉を顰めた。
下卑た笑みに下卑た言動。下種な行為。見下す男達に対する嫌悪感と苛立ちの方が勝ってしまったらしい。
怯んだ様子も見せずに真っ向から男達を見据える。「・・・よく言うよ」。ハッと思わず鼻で嗤ってが言った。


「最初からそんな気ない癖に」

下種野郎。

そう吐き捨て、空いた手で顎に触れる男の手を叩き落とす。ゴロツキの表情が凍り付いた。やってしまった。
先程までは女だからという理由でただ見下すだけに済んだが今の言葉で完全に煽ってしまった。当然だが。
男達は顔を見合わせると何かを決断したらしい。振り返り様に目の色を変えた男の一人が腕を振り上げた。


振り上げられた大きな手。乾いた音。頬が熱を持ち痛む。ゴロツキの手が容赦なくの頬を殴り付けた。
「糞アマが調子に乗りやがって」。男の罵声が響き渡る。しかし、真に調子に乗っているのは一体どっちだ。
とは言えども、ゴロツキ達はそれを理解する頭を持たないのだろう。その一打を合図に暴行を加え始めた。

受け流すことは可能である。が、何分足を捻ったせいで身動きが取れない為、いつもの様に受け流せない。
それに相手は力加減というものを知らないゴロツキだ。何よりも男で、その力を現状のが流しきれない。
決定打を受けないように身体を丸めて受け身を取ることしか出来ない。最低限の痛みを堪える様に蹲った。


(・・・この・・・やろ・・・っ)

内心 毒吐く

痛いのは嫌い。面倒事も厄介事も大嫌いだ。無駄に浪費するだけ。大人しくするのが一番。事無きを得る。
人形でいれば問題事なんて起きないから。所詮は弱者なのだから大人しく強者に従い続ければ良いと思う。
その事実を嫌というほど知っていた筈。それなのに現状に置かれている自分は何なのだろう。真逆である。
頭では理解していたが心は納得出来ていなかったという事なのだろうか。成長したと思っていたのに――。



もう幾度も殴られたり蹴られたりしたからか頭がぼんやりする。それでも意識を保つ自分の精神力が凄い。
だけどもう限界である。いい加減眠らせて欲しい。きっと、眠ったらゴロツキ達は自分の持ち物を奪うだろう。
自分に逆らった小娘を従属させて満足に浸る。ああ、もしかしたら犯そうとするかも知れないな。きっとする。
だけどもう良い。もう本当に限界なのだ――肉体的にも、精神的にも。だからもう良い。これ以上は疲れた。


「騒々しいと思えば・・・野盗か」

不意にぼんやりとした意識の中で声が聞こえた。心地良い音声。しかし、どこか冷たい響きを孕んだ声調。
抑揚のないまるで侮蔑するように吐き捨てられた言葉。だが、そこには侮蔑の感情すら無いのだろう。淡白。
だけどその声が妙に心地良かった。ぼんやりした頭に溶け込むように響く。ぼんやりと目を開けて驚愕する。


目の前に居たのは先程まで岩壁で佇んで水平線を見つめていた人物だった。何故ここにいるのだろうか。
先程よりも近い距離で見てみて思った。やはり似ている。そして、綺麗だ。人形のように狂いなく造られた。
ゴロツキを見据えるその冷淡な瞳さえも綺麗だと思う。助けに来てくれたのだろうか?否、きっとありえない。

自分と目の前の人物は初対面――それも、一方的な初対面だ。自分を助ける理由なんて微塵も無い筈だ。
何よりあの人は女性である。それにあの細身な身体を見る限り、男6人も相手に出来るとはとても思えない。
どう考えても戦える印象では無かった。武器は持っていた様だがあまりに無謀である。「・・・逃げ、て」。呟く。


「何だァ・・・随分と綺麗な顔立ちじゃねぇか」

男達は更に下賎な笑みを浮かべて言う。きっとその人の持ち物も奪うつもりでいるのだろう。それは駄目だ。
ぐっとカッターを握り締める。出来れば使いたくない。しかしゴロツキ達が彼女に手を出すならば仕方ない。
特に意味は無い。目の前の彼女を触れられたくなかった。今も神々しさが潰えない。まるで光に似ていた。

それはまるで――



空を照らす日輪の様な人
(あれ?というか、もしかしてこの人――)


「聞こえぬのか?」

呆然とするの耳に不意に届いた声。単調な声調にその人がすぐ傍まで近付いていたのだと気付いた。
否、違う。あろう事か、その人は自分を抱き起こしてくれていたのだ。目と鼻の先に端正な顔立ちが映った。
「・・・はい?」。あまりにも驚いて返した声はとんでもなく間抜けだ。傷に響かない様に木に凭れさせてくれた。

「貴方は・・・?」

ずっと女だと思っていたが、先程ぼんやりと耳に居れた声と今耳にした声を照合する限り男であったらしい。
何れにせよ己を助ける要素が一つもない。困惑した様には元就を見据えた。琥珀色の瞳と目が合う。
ゴロツキに殴られた箇所が何とも痛々しい。紅くなって少し腫れているようだ。肌が白い分、余計に目立つ。

「・・・女相手に手をあげるとは愚かの極みよ」

目が合うとその人はバツの悪そうに舌打ち目を逸らした。そして冷やかに男を一瞥して静かに言い放った。
その瞳からは何を考えているかはわからない。しかし、底冷えするような悪寒と畏怖に近い何かを感じた。
しかし凛とした横顔はとても綺麗だと思った。怖いとは感じたけれどもそれ以上に綺麗で思わず見惚れた。

「てめぇ・・・なにもんだ」

少し離れた場所にを休ませた後。その人は武器を構えて冷やかに男達を見据える。ゴロツキ達は怯む。
当然である。本能的に相手の強さを悟ったのだろう。とは言え、ここまで来てしまったら退くには引けない。
唸る様に男の一人が吐き捨てた。悪役の常套句。その言葉にその人は鼻であしらう様に嗤う。そして言う。


「我を知らぬか、愚か者どもめが」



それからゴロツキ達が一掃されるまでにものの数分も必要としなかった。考えられない程に強かったのだ。
ゴロツキの一人が途中で正体に気付いたのだろう。その人の名前らしきものを呟いた。「毛利元就…!?」。
聞き覚えのある名前。何故ここに居るのだろうかという響きだったが、むしろ、驚いたのはこちらの方である。


毛利元就毛利元就毛利元就毛利元就毛利元就
毛利元就毛利元就毛利元就毛利元就毛利元就
毛利元就毛利元就毛利元就毛利元就毛利元就
毛利元就毛利元就毛利元就毛利元就毛利元就

・・・・・・。

どうやら悪い夢を見ているらしい。ありえない。はこれでも平成に生きる。それなのに毛利元就なんて。
彼の有名な武将の毛利元就が目の前に居るのはおかしいだろう。それではここが戦国みたいではないか。
歴史上の毛利元就は知っている。しかし、あれはおっさんだった。謀略に長けていたとしてもおっさんだった。
それなのにこんな美形なんて有り得ない。反則だ。これはきっと悪い夢。そう思いたい。色々とありえない。


これは・・・・ゆ、・・・ゆめ・・・?

2010年4月以前 脱稿