それから数分後には、ゴロツキ達の死屍累々が広がった。否、一応生きては居る為、死屍ではないけれど。
その意識は完全に闇の中。重なり合うように倒れるその様は壮絶である。思わず額を押えて目を閉ざした。
自分の現状を整理したかったのは確かだが、あまりに情報が入り過ぎた。これは明らかな容量オーバーだ。
冗談?冗談なんだろうか。
仮にそうだとしても幾分、というか、かなり性質が悪いと思う。
「生きる為…か」
少し頭が冷えて呟く。ゴロツキを擁護するつもりは毛程もありはし無いが何と無く仕方ないと思ってしまった。
無意識に紡いだその言葉に「何故そう思う?」と、毛利元就らしき人物が言葉を返す。少しばかり吃驚した。
元就の視線が刺さる。まさかその理由を問われるとは思わなかった。元より話しかけられる事すら予想外。
どう返事したら良いのか分からず困惑。無意識にポケットのカッターで手遊びする。本当に何となしの言葉。
過った考えをそのまま口にしただけで決して意図して発したわけではない。詰まる話、意味など微塵もない。
それを言及されても正直困る。どう返事をするべきかは思わず肩を竦めて苦笑。全く案が浮かばない。
思考が斜め上に逸れた。何故ゴロツキ達を擁護するような言葉を発したのか、そしてこの現状についても。
ここが元居た場所でないのは確かだ。先程のゴロツキ達の発した「毛利元就」の単語から導き出せる答え。
毛利元就は中国地方を治めた瀬戸内の覇者の一人。情報より明らかに異なるが彼が居るという事は戦国。
戦国時代らしい。何ともこじつけ臭い理論だが他に至らない。遠回り結論、何故かタイムスリップしたようだ。
驚いた。タイムスリップなんて空想の産物だと思っていた。まだ信じられない。あまりにも突拍子の無い話し。
平静を取り戻した脳裏を過ったのは「仕方無い」という言葉。仕方ないで片付けられる問題ではないけれど。
だがこの時代のゴロツキ――否、賊の行動を完全に否定する事が出来ない。彼らも生きる為に行っただけ。
確かに暴力を加えられて痛かったのは否定しない。その恨みは晴れないし許すなんて以ての外。許せない。
あの行為を仕方ないで許せるほどお人好しでは無い。だが生きる為と考えるとそれを否定し切れなかった。
生に縋り付き他者を傷付け己を貶めるなんて愚かだ。でも自分もそうだったから。だから否定出来なかった。
脳裏を過ったのは生きる為に足掻いていたあの頃。愚かだと思う。だけど生きる事に、養う事に必死だった。
忌まわしい過去と呼ぶにはまだ鮮明で、昔と呼ぶには些か抵抗を覚える。あの日々は正真正銘の現実だ。
「・・・・・・」
いつの間にか思考の海に囚われていたらしい。沈黙を守る様に押し黙る時間が暫く続いた。ふと我に返る。
元就の言葉に返事しようにもその問いにどう答えるべきか分からない。果たして元就の求める答えは何か。
「答えよ」
追い打ちの様に元就は無感情に言葉を突き付ける。その言葉には視線を彷徨わす。逃して貰えない。
小さく漏れたのは溜息。逃げるのが無駄なら極力無駄な体力を消費したくない。大人しく従うのが吉だろう。
「人は生きる為なら形振り構ったりしません」。相手は仮にも武将なのだ。一応、畏まった態度と口調で言う。
その言葉に納得いかないのか、はたまた思う所でもあったのだろうか。元就は眉を顰めてを見下した。
分からない事かも知れない。弱者がこの世に生きる為の姑息な足掻きが、そうしないと生きられない事を。
浅ましくも愚かしい見苦しい抵抗だと思う。それでも生きる事を選択した以上そうせざる得ない。生きる為だ。
ふと顔を上げた。不意に元就と視線が重なった。人と目を合わすのが苦手なは反射的に目を逸らした。
沈黙をどう取ったのか。「ならば貴様も生きる為にそれを振るおうとしたという事か」元就の声が静かに響く。
彼の言う「それ」はのポケットの中にあるカッターの事だろう。バレていた事もだが、言葉に肩が揺れる。
考えなかったわけではない。傷付けられるだけに甘んじるには些か我が強過ぎた。我慢も限界だったのだ。
だが出来なかったのは弱さ故。他者を傷付ける事に確かな抵抗感を覚えた。そうまでして護るべきなのか。
そうまでする価値が自分にあるとは思えなかった。故に、カッターを振う行為に対して躊躇いを覚えたのだ。
自分は現代で生きていた。いきなり鋳きるだとか死ぬだとか問われても実感が沸かない。それ以前の問題。
進んで誰かを傷付けるなんて無理だ。正当防衛だとしても違う。この手にあるのは凶器で、人の命さえ奪う。
いきりたつ頭の冷静な部分がそれを考えると途端に身体の内側から底冷えする様な気がした。出来ない。
どうしてもそれを振るう事が出来なかった。それに対する後悔は無いしそれで良かったと言い聞かせている。
「・・・そう思った事は否定しません。死ぬわけにはいきませんから」
でも、と後に言葉を続ける。弱さが己を押し留めた。結果として嬲られるだけの状況に陥ったわけだけども。
ちらりと視線を向けると鼻で嗤ったのが分かる。分かってる。そんなことは所詮、綺麗事でしかないのだろう。
だがそれでも良いと思ったのは自身だ。それに関して後悔は無いし、先の言葉に虚偽は無い。本音だ。
「ならば何故振るわなかった?臆したか」
敢えてそこを言及するのか。毛利元就という武将はこうもお喋りだったのか。それとも単に興味本位からか。
しかし、その言葉のどれも否定する事は出来ない。的確にこちらの真意を暴いていく、綺麗だが怖い人だ。
「えぇ」小さく苦笑して言葉を返す。その言葉が事実だから否定のしようが無い。弱さ故に振るえず仕舞いだ。
「生きる為に形振りは構わぬ、されど、刃は振るえぬ・・・と、矛盾している」
元就には理解しかねる思考らしい。生きる意志はあれど傷付ける事を厭う。それは綺麗事に過ぎないこと。
真に生きる意志を持つ者なら躊躇いは無い。躊躇いが命取りになる。この時勢にこうも甘い輩が居るとは。
可笑しな奴だと思う。理解の範疇をゆうに超えている。愚かな。しかし、不思議と疎ましいとは思わなかった。
「えぇ。ですが、そうあるしか出来ない」
それがという人間なのだ。甘く、そして愚かと罵られようとも生まれ持ったものは今更変えられない。
これを変えられるのはこの世界に一人として居ない。自分だけで間違ってない。だから変えるつもりはない。
こんな風にしか生きられない人間だって居る。皆が皆、一様に割り切る強さを持つわけではないのだから。
「・・・そなた名は何という?」
何を思ったか元就は不意にそう問うた。目を丸くするものの慌て「です」と、畏まった言葉を切り返す。
まさか名を問われるとは思わなかった。初対面の相手に問われる事もだが態々尋ねる理由が分からない。
それに態々答えている自分も理解できないけれども。下手を打てばまた危険に晒されるとも限らないのに。
再び思考の海に溺れそうになった。しかし、ふと気付く。不用意に誤魔化したところで無駄だ。相手は誰か。
稀代の知略家である毛利元就だ。何れ上手く言葉に乗せられて答えていたところだろう。それは頂けない。
そう考えると自分の回答は正しかった。相手に不快感を与えず自分も相手に乗せられない。全て己の意思。
決断するのは常に自分自身で無ければならない。だからきっとこれは正しい判断だったのだと思う。多分。
相変わらず穴だらけの理論に自嘲の笑みが浮かんだ。それでも自分らしく生きている。それだけで十分だ。
はどうしているだろうか。まだ12歳と幼い。突然姉が姿を消したのだ。苦労を強いられている事だろう。
申し訳なさが募る。こんな見も知らぬ場所で先行き見えずに居る姉を持つなんて不幸だ。早く戻らなければ。
だけど、どうやったら戻れるのだろう。
考える程、目の前が暗くなっていく。こんな場所に突然小娘が放り出されたところでどう立ち回れというのか。
命の危険に晒された以上、現状を先程までみたいに楽観視して呑気に構えてはいられない。どうすべきか。
自分も案外小心者だと苦笑が浮かぶ。生きる為には何をしたら良いか冷静な部分が判断を求めて急かす。
そんなに急かされても最良の答えなんて出ない。それなら今までこんな風な人生を歩んでは来なかった筈。
思考に八つ当たりなんて変な話だが自然と苛立ちが募った。何故こんな厄介事に巻き込まれねばならない。
厄介事と面倒事なんて嫌いだ。それなのにそれが一度に降り掛かるなんてツいてないにも程がある。最悪。
「毛利の者で無い、とは言え、そのような軽装では旅もできまい」
風来者か?と、問われる。小さく頷いて反応を待つ。タイムトリップしちゃいましたテヘッなんて言えるものか。
だが出所を突き詰められても困る。この時代に来たばかりのに土地が分かる筈もなく答えようがない。
タイムトリップだってある意味風来者だ。問題はこの先どうしようという事だけれど。片道切符しかない旅だ。
「・・・・・・」
琥珀色の瞳が質す様にを見据えた。どうもバレている。しかし素直に語れる程、事実は簡単ではない。
困った風に肩を竦めにが笑う。この事実を受け入れられる人は少ない。当人たるとて信じ難い事象だ。
それを説明したところで訝しがられるだけ。下手すれば余計な疑いまで掛けられる筈。面倒事はお断りだ。
言葉を返さないに諦めたのか元就が小さく息を漏らす。そして、何か思案した後、ゆっくり口を開いた。
風共に来たる人
(「ついて参れ」と、その人は吐き捨てて踵を返した)
「歩けぬのか?」
先を歩こうとした元就だったが、幾ら待っても立ち上がる気配を見せないに苛立ったように振り返った。
たった今気付いたらしく僅かに眉を顰めて元就は吐き捨てた。難儀な拾いものをしたものだと少し後悔する。
「ごめんなさい。さっき足を捻ってしまって・・・」
今更ながら腫れた足首がじくじくと痛む。見下す様に目の前に立つ元就に苦笑を浮かべ言うと呆れた視線。
彼の高名な毛利元就にこんな顔をさせた自分はある意味凄いかも知れない。怖いもの知らずというべきか。
しかし幾ら立ち上がろうにも力を入れると酷く痛み立てないからどう仕様もない。困った様に視線を漂わす。
が、
「動くでない」
落ちても知らぬぞ。
その場を動けないのに痺れを切らしたのだろう元就は淡白に吐き捨てるとの背中と膝裏に手を回した。
同時に浮遊感。思わず声にならない声が漏れて元就を凝視する。だが、本人は至って普通の顔をしていた。
それどころか表情を変える事も無く軽々とを抱き上げて足を進める。問題は抱き方だ。姫抱きですか!
「・・・・・・」
本日何度目の沈黙だろう。生きている心地が微塵もしなかった。だが下手に動き落とされたらかなわない。
動揺している事を気取られない様に表情は普通だが、その心の中は嵐が吹き荒んでいる。何だこの状況。
展開が早過ぎて思考が追い付いて行けない。一人悶々としているを余所に先程の湖付近に来ていた。
そこに居たのは利口そうな一頭の馬。手入れの行き届いた綺麗な亜麻色の毛に気高くも賢そうな顔立ちだ。
元就に知弥と呼ばれたその馬は主の帰りに嬉しそうな反応を見せた。そして迎え入れる様に大人しくなる。
「乗れるか」と、尋ねられて言葉に迷う。乗った事はあるがそれは随分昔でありこんな大きな馬は初めてだ。
「・・・乗れぬならば素直に申せ」
心無し舌打ちさえ聞こえてきそうな口振り。怒らせてしまっただろうかと顔を上げると単に呆れていただけだ。
なるべく傷に障らない様に馬に乗せてくれた。確り掴まれと告げて打って変わり軽やかな動作で馬に跨る。
これが馬に慣れている人間と慣れていない人間の差なのか。知弥の顔を盗み見ると先程より機嫌が良い。
見知らぬ人間を相手に毛利元就の対応は破格だろう。だが、何も言われずに連れて行かれると些か不安。
とは言え、己の前にを座らせなるべく負担が少ない様にしてくれたりとさり気ない優しさが垣間見える。
初対面の相手をあっさり信じられる程、は純粋では無い。だが心無しか元就なら信じられる気がした。
言葉はとても淡白であるが裏腹にその態度は優しい。何より最初に見たあの琥珀色の瞳が忘れられない。
今は亡き父と重なるからか、元就を見ていると何と無く心穏やかになれる。幸せだった頃を思い出すからか。
近くに見えるその横顔に目を向けた。やはり驚く程、父と似ている。父もまた年齢の割に顔立ちが若かった。
父は早くに母を失くしたと幼い弟を慈しんでくれた唯一の人。が13歳の頃に交通事故で亡くなった。
それでも幼い弟よりかは両親との思い出がたくさんある。そのどれもが大切で今日までを生かした糧。
(…参ったなぁ)
小さく苦笑
流石に未だ完全に元就を信用する事は出来ない。しかし、心のどこかで元就を信用してみたいと声がする。
相反する感情がの内側で衝突してはまた答えを見い出せなくさせる。容易く他人を信用するのは愚か。
その事実をは痛いほど理解していた。今までの生活がにそれを無理にでも自覚させたのだから。
愚かと理解している。だがその感情を退けてまで信用してみたいと思う気持ちがある。理由は分からない。
「・・・・・・」
馬が歩く度に小さく振動する。振動しても捻った足に障らないのは元就が気を使っているからに他ならない。
思う事はたくさんある。それに関しては自ら決着をつけねばならない事。は小さく息吐き瞑目する。
何れは決着をつけねばならない事かも知れないが今だけはこの振動と温もりに身を委ねていたいと思った。
その温もりに懐かしさを覚えたなんて認めない
2010年4月以前 脱稿