誰かに揺さ振られ、強制的に眠りから引き摺り出される。誰か、と言ったがこの劈く様な声はどうやら私だ。
私を抱いていたのは頬に傷のある男性。その隣で夫婦なのであろう男女が嬉しそうに私を覗き込んでいた。
だけど男女の顔はぼんやりとか見えない。私を抱いている男性が「」と私を呼ぶ。どうやら名前らしい。
私はそんな名前だったのか。頭がぼんやりとして上手く思考が纏まらない。睡魔が波の様に襲い掛かった。


あの日からどれだけ時間帯が経ったのだろう。漸く自力で思考して状況整理がまともに出来る様になった。
私の両親は美術館に務めているらしい。所謂、職場結婚というもの。その愛の結晶とやらが私だったらしい。
そんな私が一人で歩き回れるようになった今もその熱は冷めないらしく新婚の様に仲睦まじく過ごしている。
二人の愛の結晶であるらしい私は至って普通の・・・いや、普通と呼ぶには些か語弊があるかも知れないが。
子供なら元気に外で遊び回るのが普通だろうに部屋に引き籠りずっと本を読み耽っている本の虫だなんて。

そんな生活を小さい頃から送ってたものだから今では大人に勝るとも劣らないだけの知識量を手に入れた。
だとしてそれがこの世界で何の役に立つんだと問われたらおそらくは【無意味】と答える他にないのだろう。
この世界で知識なんてもの役には立たない。必要とされるのはゲームに勝ち続けられるだけの【力】なのだ。
だけど役を持たない私達は個でゲームに勝つなんて出来ない。だから強い役持ちに付くことが最善である。
私の両親も例に漏れることなくとある役持ちに付いている。確かにあの人は悪い人で無い。むしろ優しい人。
小さい頃によく遊んで貰った覚えもあるし、今も暇さえあれば人の部屋に足繁く通い外に連れ出そうとする。


――お節介で、酔狂なひと。



「また本の虫やってんのかは」

ノックに応えればドアが開く。そして開口一番にそんな言葉を投げ掛けられた。とんだ挨拶があったものだ。
「余計な御世話じゃないですか」と、申し訳程度の丁寧語に対しジェリコ様は「他人行儀な話し方するなよ」。
と、笑って人の背中をどやした。痛い。間違いなく私と貴方の関係は他人同士なんですけどね?ジェリコ様。


この方、ジェリコ=バミューダ様は私の住まう墓守領の領主で美術館館長、同時に私の名付け親でもある。
ジェリコ様を慕う両親が頼み込んで生まれた赤子の名付け親を頼んだらしい。最初は困惑していたそうだ。
数日後その申し出を快く受け入れてくれたのだという。以来、ジェリコ様は実の娘の様に気に掛けてくれる。
たかが役無しの子供風情が受けるには怖れ多い程に。領主からの寵愛。それがあったからかも知れない。

私は領土内を移動することが嫌いだった。人に会うたびに「お嬢」なんて呼ばれたら心底恥ずかしい。
それに私は役無しで誰かに特別優遇されるような存在でない。なのにジェリコ様はいつも私を構ってくれた。
それにつられて周囲も私をぞんざいな扱いすることは無かった。大切にされている、と言えば聞こえは良い。
だけど違う。求めていたものはそうじゃない。私は無意味な存在。そこに在るだけの存在であるべきなのに。


「・・・ところで、何の御用ですか?」

このまま放っておいてもグダグダと部屋に長居されるだけな気がして、取り敢えず用件を尋ねることにした。
流石に用件を後回しにするような人では無い。ジェリコ様は仕事熱心な方だ。思い出したように掌を打った。
そして「ユリウスは知ってるよな?」と、問われる。ユリウス、といえば、時計屋・ユリウス=モンレーのことだ。

知っている、とばかりに小さく頷く。曰く、時計屋さんが子供を拾ったのだという。名前はエースというらしい。
元余所者らしいがそこら辺はあまり興味が無くて適当に聞き流していた。つまり、時計屋が子持ちになった。
そこが重要ならしいが、正直どうでも良いんだけど。だって時計屋さんが子持ちになろうが私には関係ない。
興味の無さが滲み出ていたのか「それで、だ」と、本題はこれからだとばかりにジェリコ様が言葉を続けた。


「エースとは歳が近いらしいぜ」

「良かったな!遊び相手ができて」と、とんでもない爆弾を投下してくれた。思わず本を取り落としそうになる。
落とさなくて良かった。しかもあろうことかジェリコ様は「呼んでおいたから紹介しとくな」とか、言い出す始末。


呼んだ?誰が、誰を?

ジェリコ様が、元余所者を――


ちょっとちょっと勘弁してよ。これ以上人と関わりたくなんてないのに何て勝手な事をしてくれるんだ。横暴だ。
少し遠くで少年の騒ぐ声が聞こえる。「もう!一体何なんだよ!」という声から察するに彼も望んではいない。


お嬢!開けるぜー」

顔がぼんやりしてても見慣れた人なら判別は付く。顔見知りの構成員の声が聞こえてそれに応えようとした。
が、それよりも先にジェリコ様が「おう」と応答する。この部屋のに主は私なのだが突っ込んでも無駄だろう。
ドアの先には色素の薄い茶色の髪に赤い目をした少年が構成員に俵担ぎされていた。彼がそうなのだろう。

ジェリコ様の言っていた、元余所者。


「・・・・きみ、誰だ?」

不機嫌そうな顔をしている少年が不意に視線をこちらに向けて開口一番そう言った。初対面の筈なのだが。
人に名前を聞く時はまず自分からだと習わなかったのだろうか、彼は。私だって小さい頃にちゃんと習った。

――習った。・・・いつ?

いつ私はそれを習ったのだろう。この世界に来てからそんな風な教えを習った覚えは無い。なのにどうして。
どうしてそれを私は習ったと記憶しているのだろう。矛盾に胸が軋んだ音を立てる。どうして、何で、こわい。


「聞いてるのか?」

と、訝しげな顔をしてエース様は更に言葉を紡ぐ。そして「ああ」と、ハッとした表情を浮かべ掌を軽く打った。
そして、「俺の名前はエース。きみの名前は?」と、先程までとは打って代わって自ら先に名前を名乗った。
「・・・、です」と、戸惑いがちに私も名乗る。戸惑った理由はエース様の態度があまりにも変わったから。
「名前を聞く時は自分から名乗るもんだもんな。ごめんね」と、掌を返したようにそんな風に言われたら困る。
そしてエース様は何度か私の名前を復唱する。そして「よし覚えた」と、眩しいくらい爽やかな笑みで言った。

「・・・よろしくお願いします、エース様」

差し出された手を恐る恐る握り返してなるべく丁寧な物腰を心掛けて応える。あくまで相手は目上の相手だ。
様付けしたことにエース様は不服の様だがそこはどうしても譲れない。だって私は役無しで相手は役持ち。
まだ役は持って無いらしいが何れはそうなる身の上。無意味なものと意味があるもの。その隔たりは絶対。

エース様は「それだけ」と言うかも知れない。ジェリコ様だってそう言った。だけどね彼等は分かっていない。
それだけのことでも決してそれらは覆ることのない大きな壁なんだ。そしてそれで構わないと私は思ってる。
だからわざわざ紹介してくださったジェリコ様には申し訳ないのだけど私はエース様の【友達】にはなれない。


この世界で人は大きく二つに分類される

(意味があるか、無いか)




無意味なものに関わるほど無意味なことは無い

2013年11月5以前 脱稿