エース様には放浪癖と迷子癖がある。つまり殆ど墓守領に居ない。そして時計屋さんに大切にされている。
ジェリコ様や私に負けず劣らずの仕事の虫で引き籠りな時計屋さんだがエース様の探索に外出が増えた。
何とも哀れな話だ。ちなみに基本引きこもりの私が何故それを知っているかという理由は至って簡単なこと。


「だというのに・・・エース様は外ではなくここにいらっしゃるなんて知ったら卒倒しそうですね」

もしくは高血圧になりそうだ。敵は案外近くに潜んでいるもの。可哀相に時計屋さんは出たくもないだろうに。
外までエース様の捕獲に向かっているのだろう。最近になってエース様の駆け込み寺が私の部屋になった。
許可した覚えはないのだが勝手に人の部屋にテントを張って野営している。いや、室内だから野営じゃない。

「館内でテントを張ったら撤去されちゃうじゃないか」

テントから上半身だけを出して寝転がりながらエース様が言った。そりゃそうだ、と、内心思うが口にしない。
だからって人の部屋に張って良いかと言われたらそういうわけではないだろう。他にも空き部屋は沢山ある。
なのにどうしてこの部屋を選んだのかよく分からない。というよりエース様がよく分からない人だと私は思う。

「・・・あたり前ですよ」

妨害も良いところ。ベッドに座って壁に凭れかかり本を読み進めながら、呆れた様に溜息混じりに口にする。
一緒に居る時間が増えたから初期より口調は砕けた。私は別に他人と時間を共有するのが嫌いではない。
そりゃずっと一緒なんてことになったら話は別だけど。基本的に読書している時にエース様は邪魔をしない。
同じ部屋に居ても互いに空気みたいなもので構い合わない。だから苦にならないので放っておくことにした。


――この場合、下手に構った方が面倒な事態になるのは目に見えている。



「えー!?だって、別にどこにキャンプしたって自由だろ?」

それならそれを妨害するのもその人の自由だと思う。私の突っ込みに腑に落ちないという顔をしたエース様。
たぶん一番腑に落ちないのは毎度撤去やエース様の回収に向かっている皆さんの方だと思う。理不尽だ。
「でも、って本当に外でないよな」「そのうちコケ生えちゃうぜ?」と、爽やかに笑い暴言を吐いてくれた。

「・・・別に外出しないわけじゃないですよ」

それに、コケも生えません。やれやれとばかりに本を閉じて、そう即答する。一応、たまには外にも出ている。
食事の時だってちゃんと食堂まで夕食を取りに赴いてるし、そりゃ外出しないから日の食事数は少ないけど。
そういえば最近、父さんや母さんの顔を見かけて無い気がする。最後に会ったの何時間帯前だったっけか。

「それ外出って言わない・・・運動不足になるぜ?」

たぶんもう遅いと思う。最低限しか動いてないせいか、自慢じゃないけど私はかなり非力だと自負している。
いや、一応室内で出来る範囲では鍛えたり運動はしてるんだ。だから部屋にダンベルが置いてあるんだよ。
そうだよ流石に非力過ぎて拙いなと私だって自覚している。応急処置というか苦肉の策に過ぎないけれど。

「いちおう運動はしてますよ・・・あれで」

そう言って、ダンベルやらを指すと、そちらに目を向けたエース様はそれ以上何もいわずに溜息を漏らした。
結構、エース様って失礼だと思う。不意にテントから出て服に付いた埃を払うと「・・・決めた」と、立ち上がる。
何を決めたか知らないが、旅に出るなら勿論テントの後片付けもしてくれますよね?置き去りはダメですよ。
時計屋さんに買って貰ったお気に入りでも、流石に置き去りにされたら次回まであるか保証できませんから。

「いくよ、

そう言って、腕を引かれる。いや、だからどこに・・・?むしろ行きませんから。行くなら一人で行って下さいよ!
だがそんな無言の抵抗も空しく本を奪われて立ち上がらされる。「え?いや、」どこに、と口にする間もない。
ぐいぐい腕を引っ張られて部屋を出る。そしてもの凄く久し振りに日光を浴びた。もう何百時間帯振りだろう。


――つまり、私は今、外に居る。


エース様に連れられて、外気に触れて、墓守領の所以たる墓地を通り過ぎて森の中をずんずんと突き進む。
雲ひとつない青々とした空、緑香を運ぶと同時に頬を撫でる風、葉擦れの音と共に鳥の囀りが聞こえてくる。
全てが懐かしいと感じた。もうどれだけの時間を接することなく過ごしてきたことか。本当に久し振りだった。


「・・・・・エース様、痛いです」

「え?ちゃんと加減はしてるぜ?」と、私の呟きに足を止めることなく振り向いたエース様が驚いた様に言う。
ええ、確かに私を気遣ってくれているのかその歩調は彼の通常ペースと比較してずっとゆっくりだとは思う。
だけどそうじゃない。私が痛いのは足ではないです。流石にこの距離で疲れる程、運動不足でないのです。

でもね、


「・・・エース様、陽射しが痛いです」

二回目。先程よりも苦悶を含んだ声に何だと言わんばかりに振り向いたエース様がギョッとしたのが分かる。
自然は久し振りに対面した私を温かく迎え入れてくれたが一つだけ例外があった。陽射しだった。容赦無い。
どれだけ歩いたか分からないけど、流石にこの陽射しの中を移動するのは長年の引き籠りにかなり堪えた。
「あ、あとちょっとだから!」と、珍しく焦ったようなエース様の声に励まされながら辿り着いた先は駅の領土。

遠い昔に一度だけジェリコ様に連れて来て貰った覚えがある。あの頃と変わらず佇む姿はやはり懐かしい。
だが色が混ざり合って紫色に見える。いや、紫から緑、緑から黄色、黄色から赤、赤から黒と、色とりどりだ。
入り混じり過ぎてちょっと駅の景色が霞んでいる様に見える。こんなに駅の風景はカラフルだっただろうか。


!」

飲み物を取りに行って来る、と、少し離れていたエース様の声が遠くで聞こえた様な気がした。



我に返ると私は見知らぬ場所に居た。どう形容すべきか分からない謎の空間。何故か見覚えある気がした。
だけどそんな筈は無い。ただ妙な安堵感を覚えて私はぼんやりとその場に佇む。不意に一紡ぎの風が吹く。
そして、私の目の前には男の人が現れた。銀色の髪に片目を眼帯で覆っている。彼は優しげに微笑んだ。


「・・・だれ?」

顔がある、ということは役持ちなのだろう。なんて図々しいと理解しながらも口を開けばそう言葉にしていた。
その返答なのか、何か口を動かしているがその言葉は私の耳には届かない。仕方なく唇の動きを眺める。
そこから何を言っているのか読み取るわけだが、なんでそんなことが出来るのか、正直、私にも分からない。
名前も知らないその人は私の名前を呼んだ。頭を撫でながら「おかえり」と言った。どういう意味なのだろう。
私は最初からずっとこの世界の住人だ。此処がどこなのか知らないがその言葉には違和感を覚えてしまう。


このひとはどうして――・・・・・




不意に名前を呼ばれた。いや、正確には音では無いから呼ばれているようだ、と表現するべきなのだろう。
顔を上げると思ったよりもずっと近くに彼の顔があった。驚きに目を丸くする私を尻目に彼は距離を縮める。
これは抵抗するべき局面だと頭では理解している。だけど身体が思う様に動いてくれない。嫌なんだと思う。
だけどこんなに優しく触れられたら抵抗出来ない。出来る筈が無かった。どうして、いつも私を知ってるの?



距離が失われる瞬間

(声が 私の意識を浮上させる)


知っているけど知らないひと

2013年11月5以前 脱稿