「そなたに勝ち目は無い。退かれよ!」

一気に距離を縮めて扇子を弾いた。流石に武田の総大将を相手に耐え忍ぶのはどうやら難しかったらしい。
だが、二槍を持ってしてもそれを飛ばすには中々骨が折れた。これが実力ならばそれには素直に感服する。
もしもが女子では無く男であったなら良き好敵手と成り得ただろう。だがが女子で良かったと思う。

「・・・御冗談を・・・っ・・・!」

扇を飛ばされたと同時に大きく体制を崩したが後ろに飛んで瞬時に体制を整える。だが扇子の位置が遠い。
虚勢半分にそう言葉を返すが実際はかなり劣勢である。武器が無ければ幸村を相手にするのは不可能だ。
だが今不用意に動いたならば幸村は必ず動きを止めに行動する筈。武器を持たない今それは非常に拙い。

「これ以上、不要な戦いを召されるな」

完全にの動きを牽制するつもりなのか、二槍を突き付けて言葉を紡ぐ。その目が真摯であるのを知る。
しかし、それを知った所で何が変わるものか。幸村には幸村の、にはの譲れないものがあるのだ。
自分は元就の命令に従い時間を稼ぐだけだ。が、武器を飛ばされたとなればそれは難しい。緊迫した空気。

「・・・・・・」

先程、光の点滅が見えた方向へと視線だけを向ける。準備は着々と整っている。稼ぐべき時間は残り僅か。
その僅かの時間を稼ぐのも兼ね呉葉は幸村の言葉に沈黙で応える。敵である限り二人は分かり合えない。
ならば言葉を交わすだけ無意味というもの。にとって元就の選択した道こそが己の貫く道なのだから。

向けられた二槍を回避するのは難しい。が、あくまでそれは無傷で事無きを得ようとするならばの話である。
傷を負うのを覚悟で動けば武器を取り戻す好機は掴めるだろう。躊躇から幸村はまだ本気を出していない。
友であるに本気で武器を向ける事を躊躇っている。ならば、その隙を突けば武器を取り戻す事は可能。
後はどのタイミングでそれを行うかの問題。少しでも幸村に気取られたらこれは失策となる。それは駄目だ。


殿・・・っ!!」

どうかこれ以上、戦わないでいて欲しい。それは幸村の切なる願いである。友であるを傷付けたくない。
だが幸村とて武田を統べる大将の身。が戦う意思を見せたらばおいそれと見逃すわけにはいかない。
そうなるときっと否が応でも再び戦闘になるだろう。そして今度こそを傷付けないとも限らないのだから。

「幸村・・・悪いけどそれは出来ない」

その緋色の双眸から目を逸らす。幸村個人に恨みがあるわけではない。ただ、選択した道が違っただけだ。
静かにその言葉を吐き出すとは真っ直ぐ幸村を見据えた。武器を持たない小娘。されど何かを感じる。
遠く離れた場所に飛ばされた扇に視線を向ける。小さな武器であるからだろうか、随分と飛ばされたものだ。

「!!」幸村が小さく息を呑み込むのが見えた。反射的に振り切られた槍を一番代償の少ない左手で凪ぐ。
瞬間的に地面を蹴って幸村と距離を取り扇に近い場所へと飛んだ。だが予想外の行動に幸村は驚愕する。
武器を手に取ればまだこちらにも勝機は残されているから。じょじょに距離を縮めて若草色の扇を手に取る。
扇に付着した埃を払って再び、動揺を隠せずにいる幸村と向き合う。槍が掠めた左手はズキズキと痛んだ。



「この命は元就様のためにあるから」

扇を垂直に持ち上げて幸村を見据える。決して幸村を傷付けたいわけではない。だが戦うならば仕方無い。
こちらとて受け身を取るだけで攻撃を受け流すにも限界があるのだから。扇子を構え直し改めて向き合う。
武器と呼ぶにはあまりに小さい扇は風を発生させ、その風は守るかのようにを包み込んで吹き荒んだ。

「某は・・・戦をしに参ったわけではない!」

毛利の民を、を、傷付けに来たわけではないのだ。確かに徳川に下り、西軍として毛利を牽制に来た。
だが決して傷付けようと来たわけでない。無用な血を流さない様に話し合いで決着が付くならばと挙兵した。
勢いを増していく突風から足を退く事も無く幸村は吠えた。だがにその声は届かずに退く気配が無い。

「戦をしに来たわけじゃない・・・ならば、現状をどう説明する気?」

今この現状こそが戦だというのに。は小さく鼻で嗤った。確かに幸村は優しい。が、優しい故の虚言だ。
無血の戦など存在しない。仮に元就が話に応じたとしてもそれに至るまでに流れた血をどう説明するのか。
そして、少なからずには元就が応じない事が分かる。だからこそ最終的に物を言うのが力であるのも。
元就を傷付ける真似はさせない。元就を護るのが務めである自分が居る限りは。だからそこに行かせない。

元就だけではない。この戦の足止めとして使われた毛利の兵とてたくさん傷付いている。もう後に退けない。
全ては毛利を護る為に、元就の策を成功させる為に。とてその気持ちは同じだ。だから今、戦っている。
扇を水平に構えて一気に凪ぐ。刹那、鋭い鎌鼬が無数に出現して幸村を襲った。受け流すには数が多い。


「っ・・・それでも!」

傷付けたくない想いと後には退けない想いが交錯する。何故、彼女はこんなにも頑なになったのだろうか。
昔のならばもっと柔軟に事の良し悪しを考えて判断出来た筈なのに。何故彼女は今自分を阻むのだ。
感情を堪えて風の流れを断ち切る様に連続突きを繰り出す。の風と幸村の火炎が退く事無く衝突した。
互いに激しく衝突するが持ち主を傷付ける事は無い。繰り出される突きを扇で往なし更に風を巻き起こす。

「変わったね・・・幸村」

幸村の激しい突きを辛うじて回避しながらはぽつりと呟いた。会う事の無かった3年間が互いを変えた。
その言葉に一瞬打ち込む手が緩むものの幸村は槍を持ち直してを見据えた。彼女がそれを言うのか。
言葉を跳ね退けるばかりで意固地になっているが。ほんの刹那常盤色の瞳と蘇芳色の瞳が交差する。

「変わられたのは殿の方であろう」

まるで苦虫を噛み潰したような表情で幸村は言葉を返した。どうしてこの言葉が届いてくれないのだろうか。
どうして友である筈の自分とが武器を交えて戦わねばならないのだろう。二槍を握る手に力が籠った。
その言葉には何も答えなかった。次の攻撃への布陣か幸村が旋風を巻き起こした。口角が吊上がる。
風を操るのはの得意分野である。それが大車輪へ続くのが分かるがの前で風を用いるのは無力。



「・・・変えられたよ。こちらに来て何もかも」

だけど後悔は無い。

その風を逆に打ち消しては更に風を生み出した。今一番に警戒するべきは幸村の烈火と千両花火だ。
至近距離の戦闘をあまり得意としないが本領を発揮するのは距離を置いて複雑に風を操作した攻撃。
力では無く敢えて技術での攻撃を極めたのだ。静かに紡がれた言葉の中には懐古的な想いを感じさせた。

変わった事など百も承知だ。何者にも囚われてる事の無かった呉葉が唯一つの光に囚われている時点で。
しかしその事実には後悔の念を覚えた事は無い。たった一つに全てを捧げられる今を良しとしている。
むしろあの頃は何者にも囚われないのでなく失くす事を恐れていただけに過ぎなかった。今は幸せだと思う。
護りたいと思うものがすぐ傍にありその光に傍に居る事を許されている今とこの身が。とても誇らしく思える。


「しかし・・・っ!」

果たしてその変化は正しいものであったのか。幸村は苦い表情を隠すこともできずにに視線を向けた。
今こうして友と戦う事さえも許容してしまう変化が本当に正しいのだろうか。己はと戦いたいと思えない。
それが甘さと呼ばれようとも変える事は出来ない。それを望む事はどうしても出来ない。二槍を握り締める。
どうすればこの声は届くのだろうか。戦えない様にするのは簡単である。だが友を、を傷付けたくない。


友情と義

その狭間で幸村は揺らぐ


(っ・・・どうして退いてくれないんだ)

歯痒く思う

揺らいでいるのは幸村だけでない。感情を堪えるのが得意であるも表には出さずに激しく揺れていた。
後には退けない。元就の命令に背く事など考えられない。されど、だからと言って友を易々傷付けられない。
真田幸村はこの時代で友と呼べる数少ない存在だ。なぜ友と呼ぶ存在を自らの手で傷付けなばならない。

それを躊躇わず出来る程、は冷淡な心の持ち主でない。迷いがある故に踏み込んだ攻撃が出来ない。
先程から一進一退の攻防線が続いていた。そして、明らかに戦うのを止めろと告げる幸村に迷いを覚える。
主君の判断は間違っていない。自分はただ元就の選んだ道に添い遂げたいだけだ。先に平和が在るから。
だからその為にならこの戦う力を振るおうと思った。しかし相手が友であるならば遣り難い。甘いのだろうか。

――甘いのかも知れない。



「!!」

幸村の痛烈な回転蹴りが手元を掠める。辛うじて扇を飛ばす前に身を引いた。しかし手はびりびりと痺れる。
戦闘中の考え事がいけなかったのかこの状況で更に技を繰り出すのは無理がある。は幸村を見遣る。
一度回避した劣勢状態に舞い戻るとは思いもしなかった。否、相手が武将であるならば当然だろうけれど。

「・・・・・・」

明らかな隙である筈なのに攻撃を仕掛けずに、ただ此方を見据えるのは降伏を待っているからなのだろう。
ここで降伏すれば間違いなく元就の足手纏いになる。否、奴隷風情と切り捨てられるのが関の山だろうか。
元就に迷惑をかけるだけの真似ならばしたくない。己はあくまで毛利元就の奴隷であり駒であるのだから。
だが限界かも知れない。相手は武田を統べる武将であって、方やは武将ですら無いただの奴隷風情。

――勝ち目が無い。


『我の為に生き、そして、我の為に死ね』

覚悟を決めた刹那、不意に脳裏を過ったのはいつかに命じられた元就の命令だった。感情のこもらない声。
だがそれは決して冷たいものではなかった。あの言葉は戦場で孤独であるに如何なる時も寄り添った。
あの言葉があったからこそ生きて帰った。どんな苦境であれど耐え凌ぐ事が出来た。元就に与えられた命。
既にの命は己だけのものではない。この命を左右出来る存在は元就だけだ。他者に権利は譲らない。



「元就公!?」

不意に幸村の驚愕する声が響いた。反射的に顔を上げたも思わず目を剥く。眼前に佇むのは元就。
まるでを護るかの様に突如として姿を現した元就はただ無言で幸村を見据えている。驚くのは当然だ。
まさか敵軍の武将がわざわざ目の前に現れると思わないだろう。幸村は固唾を呑んだ。元就は動かない。


(・・・・・・"幻"?)

その違和感に気付く

先程から一言も発しない元就には違和感を覚えた。しかしふとある考えに至る。話さないのは当然だ。
これは毛利元就ではなくその技の一つである幻。つまり毛利元就の光が生み出した幻であり分身なのだ。
故に話さないし無用な動きはしない。態々元就が幻を用いて戦いを中断させたのは準備が整ったのだろう。

はそれが幻影だと分かっていながらも小さく頭を垂れた。そして、幸村を一瞥した後、その場を去った。
残された幸村はを追おうと一歩踏み出すが反射的に身を引いた。幻影の元就が爆発を起こしたのだ。
その爆風に煽られて一瞬視界が遮断される。煙が止んで辺りを見回すと既にそこにの姿は無かった。


「旦那」 「幸村さん!」

友を止められなかった後悔故か幸村は二槍を握り締めた。その背中に聞き慣れた二つの声が降り掛かる。
振り返るとそこには佐助ととよく似た顔立ちの少年が佇んでいた。である。正真正銘の弟だ。
扱う武器は小太刀でありその属性もとは異なる。しかし、その仕草などには時々重なるものがあった。

「おお戻ったか」

その声に小さく応えて幸村は空気を緩める。見たところ二人には目立った傷も無く大事ない事に安堵する。
此処は戦場であり怪我をしない保障はどこにもないのだ。むしろ、運が悪ければ命さえ失う可能性がある。
だが生憎、目の前に居る佐助もも容易に命を落とす様なタマではない。生命力に富んでいるのだから。

「・・・・・・、姉ちゃんいたの?」

不意にが周囲を見渡して呟く様に幸村に尋ねた。先程までのの風の名残を感じて察したのだろう。
たとえ血の繋がった姉弟であろうとも仕える先が違えばそれはやはり敵同士となる。選んだのは紫呉達だ。
それでもまだ15歳、こちらでは元服の年だが幼い紫呉にとっては寂しさが募るのだろう。瞳が僅かに揺れる。

「・・・うむ」

弟のは真田幸村の率いる武田軍に、姉のは毛利元就に仕えている身だ。故に今は敵同士。
しかし血の繋がりは二人をより一層深く結びつけ躊躇いを生み出す。この状況をどう考えているのか。
幸村は再び混沌の中に足を踏み入れ掛けるが、それを振り払う様に小さく返事を返して空を仰いだ。曇天。
疲弊した兵らを休ませるのも兼ねて、再び挙兵するのはおそらく2日後になるだろう。そしてその時はまた。



其れは未だ前兆に過ぎない。

2010年4月以前 脱稿